勝手に堺市広報大使 旅と神社

国内の寺社や史跡巡りをした時のことや、生まれ育った堺市の紹介をしています。たまに過去に行った海外旅行の思い出話や海外の友人とのやりとり、私が実践した効果的な掃除方法なども載せています。カテゴリ別に分けていますのでよろしければ過去の記事もご覧ください(^^)

大学のレポートみたいなタイトルになってしまいましたが、今日は堺が生んだ鉄砲産業の話をします。

以前こちらの記事で少しだけ触れましたが、堺市堺区にはかつて鉄砲産業が盛んだった名残で鉄砲鍛冶屋敷や資料館が残されています。

鉄砲について(ものの始まりなんでも堺から引用)
ポルトガルから種子島に鉄砲が伝えられた直後、堺の商人橘屋又三郎が種子島を訪れ鉄砲の製法を学んできたのが、堺で鉄砲が作られるようになったはじまりといわれています。
又三郎は「鉄砲又」といわれるほど鉄砲作りがうまかったこと、堺では平安時代から鋳造・鍛造の高度な技術が伝えられていたこと、火薬の原料となる硝石を輸入できたことがその理由でしょう。

貿易港として栄え物流の拠点だった堺は、火薬などの原料を入手しやすかったことから鉄砲産業が発展したと考えられます。

大坂夏の陣で堺は焼け野原になりましたが、その後街が復興され堺は商業都市となりました。

江戸時代を通じて鉄砲の生産に携わったのは井上家ですが、現在も堺区北旅籠町に屋敷が残されています。

この屋敷は5回に及ぶ空襲を逃がれて奇跡的に残りました。

この辺りは江戸時代から続く街並みが残る貴重な地域です。

堺市博物館内に実際に製造された鉄砲が展示されていました。
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また、実際に鉄砲を用いて戦った足軽鉄砲隊と呼ばれる人々についても紹介がありました。
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胸当てのところのマークは堺市のシンボルですが、このマークは実際にはなかったと思われます。

他にも堺発祥のものとして包丁や線香、自転車、学生相撲などが挙げられます。

派手で目立つものはありませんが生活の中で必要なものもありますので、堺が日本の発展に少なからず貢献していたことが分かりました。

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