勝手に堺市広報大使

地元・堺や奈良の史跡、古墳、神社仏閣をはじめとするおすすめスポットを紹介しています。奈良が大好きで明日香村、橿原市、桜井市、天理市の神社仏閣や史跡をよく訪れています。2022年12月~飛鳥応援大使に就任いたしました。飛鳥の魅力を多くの方に伝えていけるよう頑張っていきます!

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地元・堺と奈良など関西圏を中心とした神社仏閣情報をお伝えします。

更新情報

前回の続きで熊野古道紀伊路を歩いた日の話になります。海南駅から熊野古道に入り、まず目に入ってきたのが熊野古道一の鳥居跡という立て札でした。かつてこの場所に一の鳥居が立てられていたようです。ここから数百メートルほど離れたところに祓戸王子跡がありました。私は
『【海南市藤白】有間皇子悲劇の地 熊野古道紀伊路の藤白王子跡・日本遺産『藤白神社』 祓戸王子跡と鈴木屋敷も』の画像

年末年始にかけて和歌山に滞在していましたが、今日からしばらく海南市に行ってきた日の話になります。海南市は熊野古道の玄関口になっていて、JR海南駅からJR紀伊宮原駅にかけて2つの峠を越えるルートがあります。今回はそのルートの途中まで歩いてきました。海南駅に着いて
『【海南市日方】元伊勢 岩山の中腹に鎮座する『伊勢部柿本神社(日方えびす)』』の画像

昨年末谷町九丁目から四天王寺方面に向かって歩いていた時に、偶然『東高津宮』を見つけたのでお詣りしました。以前訪れた谷町九丁目駅付近に鎮座している高津宮とは関連があるのだろうなと思っていましたが、どちらも仁徳天皇がご祭神として祀られています。 仁徳天皇は高津
『【大阪市天王寺区東高津町】仁徳天皇と皇后・磐之姫命が祀られた『東高津宮』』の画像

昨年末に梅田に行く用事があったので、その前に近くに鎮座していた『綱敷天神社』に初参拝しました。 以前参拝したお初天神からもそれほど遠くない場所に位置しています。綱敷天神社の創建は843年で、822年に嵯峨天皇が当地に行幸し頓宮を構え1泊したことが起源のようです。
『【大阪市北区神山町】嵯峨天皇行幸の地に創建 梅田の守り神・学問の神様『綱敷天神社』』の画像

八尾市内サイクリング最終回は玉祖神社から大正大橋方面に向かう道中、偶然見つけた『佐麻多度(さまたど)神社』を紹介します。佐麻多度という変わった名前に惹かれてそのまま立ち去ることができませんでした。境内の由緒書きによりますと、佐麻多度神社は式内社で山畑の産土
『【八尾市山畑】境内付近から素焼きの陶棺が出土した『佐麻多度(さまたど)神社』』の画像

前回の続きで午後から八尾市に行ってきた日の話になります。心合寺山古墳を後にして堺市に戻る道中、玉祖神社の一の鳥居を見かけたのでその先の坂を上って前から気になっていた『玉祖(たまのおや)神社』にお詣りしました。一の鳥居から神社はすぐなのかと思っていたら、神社
『【八尾市神立】勾玉職人だった玉造連の祖神・天明玉命が祀られた『玉祖(たまのおや)神社』』の画像

昨年末に仕事が半日で終わった日があったので、午後から新しく買った電動自転車に乗って八尾市にある『心合寺山(しおんじやま)古墳』に行ってきました。八尾市には何度か自転車で行ったことはありましたが、今回の目的地は瓢箪山(東大阪市)近くにあり半日で日没までに帰って
『【八尾市大竹】やまとは恋のまほろば おたけやま古墳のモデルになった『心合寺山(しおんじやま)古墳』』の画像

河南町にある近つ飛鳥博物館から近鉄長野線喜志駅まで6キロ程だったので、付近を散策しながら歩いて帰ることにしました。道中偶然通りかかったのが今回紹介する『壹須何神社』です。壹須何神社は延喜式名帳に社名を連ねる古社で、蘇我氏の本支族がその祖廟として宗我石川禰を
『【南河内郡河南町一須賀】蘇我氏の末裔・石川朝臣の本拠地だった場所に創建された『壹須何神社(壱須何神社)』』の画像

前回の続きで金剛バスに乗り近つ飛鳥に行ってきた時の話になります。近つ飛鳥風土記の丘を散策した後、隣にある近つ飛鳥博物館に入りました。博物館は建築家の安藤忠雄氏による建築で、上空から見ると前方後円墳に見えるという面白い造りになっています。博物館は9時45分~17
『【南河内郡河南町】安藤忠雄建築 古墳時代の展示が充実した『近つ飛鳥博物館』』の画像

昨年12月20日で金剛バスは全線運行を終了しましたが、私は千早赤阪村に縁があるので度々利用していました。運行終了前に乗り納めに行こうと思い、近鉄長野線喜志駅から出ている路線を利用して近つ飛鳥風土記の丘と近つ飛鳥博物館に行ってきました。奈良の飛鳥が遠つ飛鳥と呼
『【南河内郡河南町】100基以上の古墳から構成される一須賀古墳群が見られる『近つ飛鳥風土記の丘』』の画像

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