これまで松原開運六社巡りに数えられる神社をいくつか参拝してきましたが、今回が最後の一社です。
過去の参拝記録と神社の紹介はこちら↓
我堂八幡宮
布忍神社
阿麻美許曾神社
柴籬神社
阿保神社

依羅屯倉(よさみのみやけ)の旧住居跡であることからこの地には『屯倉(三宅)』という地名が付けられたようです。
ご祭神は学問の神様『菅原道真公』と、厄除開運の神様『素戔嗚尊(スサノオノミコト)』、応神天皇の別名でもある『品陀別命(ホンダワケノミコト)』の3柱です。

創建は942年と伝えられています。本殿の内部には菅原道真公の木彫りのご神像があるそうです。現在の社殿は1988年氏子の方々の寄付により造営されたとのことです。

境内には様々な末社が鎮座していました。天津神社、琴平神社、市杵島神社(弁財天)、日吉神社、大物主神社、素戔嗚神社、天照神社など…。素戔嗚尊と天照大御神は姉弟の関係です。

摂社の中でひと際大きめに造営されているものがありました。それがこちらの『酒屋神社』で、創建年は927年と屯倉神社よりも古いことがうかがえます。

延喜式神名帳にも社名が掲載されている式内社で、中臣酒屋連の祖神である『津連魂命』がご祭神として祀られているようです。1907年に西の口から合祀されたとのことです。
境内には他にも天満宮や菅原道真公ゆかりの神社ならではの神牛像や鬼瓦などが置かれていました。伊勢神宮らしき遥拝所もありました。

境内にある不思議な石は『神形石』と名付けられていました。この石は菅原道真公が太宰府に下る道中、屯倉神社に立ち寄った際に腰かけた石と言い伝えられています。

ちょっと気になったのが、正面鳥居の向かって左手側にあったこちらの仏堂。角の生えた2体の鬼のような石像が両脇を固めています。詳細は調べても分からず、神社と関係があるのか謎のままです。

今回で松原開運六社巡りの神社紹介は終わりになります。次回は、屯倉神社付近に鎮座していた『熱田神社』についてご紹介させていただきます。お読みくださりありがとうございました🌸
屯倉神社の地図
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依羅屯倉(よさみのみやけ)の旧住居跡であることからこの地には『屯倉(三宅)』という地名が付けられたようです。
ご祭神は学問の神様『菅原道真公』と、厄除開運の神様『素戔嗚尊(スサノオノミコト)』、応神天皇の別名でもある『品陀別命(ホンダワケノミコト)』の3柱です。

創建は942年と伝えられています。本殿の内部には菅原道真公の木彫りのご神像があるそうです。現在の社殿は1988年氏子の方々の寄付により造営されたとのことです。

境内には様々な末社が鎮座していました。天津神社、琴平神社、市杵島神社(弁財天)、日吉神社、大物主神社、素戔嗚神社、天照神社など…。素戔嗚尊と天照大御神は姉弟の関係です。

摂社の中でひと際大きめに造営されているものがありました。それがこちらの『酒屋神社』で、創建年は927年と屯倉神社よりも古いことがうかがえます。

延喜式神名帳にも社名が掲載されている式内社で、中臣酒屋連の祖神である『津連魂命』がご祭神として祀られているようです。1907年に西の口から合祀されたとのことです。
境内には他にも天満宮や菅原道真公ゆかりの神社ならではの神牛像や鬼瓦などが置かれていました。伊勢神宮らしき遥拝所もありました。

境内にある不思議な石は『神形石』と名付けられていました。この石は菅原道真公が太宰府に下る道中、屯倉神社に立ち寄った際に腰かけた石と言い伝えられています。

ちょっと気になったのが、正面鳥居の向かって左手側にあったこちらの仏堂。角の生えた2体の鬼のような石像が両脇を固めています。詳細は調べても分からず、神社と関係があるのか謎のままです。

今回で松原開運六社巡りの神社紹介は終わりになります。次回は、屯倉神社付近に鎮座していた『熱田神社』についてご紹介させていただきます。お読みくださりありがとうございました🌸
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