前回大阪市城東区の白山神社に参拝し、森ノ宮方面まで向かいました。森ノ宮駅に到着して、玉造筋を左に曲がってすぐのところに今回ご紹介する『鵲森宮(森之宮神社)』が鎮座していました。かささぎもりのみやと読むそうです。この辺りの森ノ宮という地名もこの神社から来ているそうです。

鵲森宮の創建年は589年。日本書紀にも社名が登場するそうです。聖徳太子とその両親である用明天皇、穴穂部間人皇がご祭神として祀られていました。聖徳太子が物部守屋との戦いで勝利した際に、父母神を祀ったことが始まりとされています。

元々この辺りは森だったようで、四天王寺が建てられていたことから『元四天王寺』と呼ばれているようです。
本殿の右奥に社務所がありました。天照大神、素戔嗚尊、月読命が摂社に祀られています。

正面鳥居をくぐると正面には五幸稲荷社があります。そのわきには休憩できるように椅子が並べられていました。こじんまりとした境内ですが、初詣と夏祭は大勢の人で賑わっているようです。

こちらが手水舎です。その横にはおみくじを結びつけるスペースが設けられていました。

手水舎付近に並べられていた蛙や亀の置物が可愛かったです。

こちらが『亀井水』という聖徳太子が命名した井戸です。元は森ノ宮駅前にあった井戸のようですが、境内に移されたみたいです。当時は井戸の周辺に温泉が湧いていたとか。付近には森ノ宮遺跡という遺跡もあったようです。

鵲森宮は森ノ宮駅から徒歩2分程の便利な立地に鎮座していました。森ノ宮キューズモールや大阪城公園(ピース大阪方面)からも近く、玉造稲荷神社にも徒歩で行けるようです。森ノ宮キューズモールは敷地は広いですが、店舗数がそれほど多くなかったように思います。土曜日でしたが空いていました。
鵲森宮の地図
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鵲森宮の創建年は589年。日本書紀にも社名が登場するそうです。聖徳太子とその両親である用明天皇、穴穂部間人皇がご祭神として祀られていました。聖徳太子が物部守屋との戦いで勝利した際に、父母神を祀ったことが始まりとされています。

元々この辺りは森だったようで、四天王寺が建てられていたことから『元四天王寺』と呼ばれているようです。
本殿の右奥に社務所がありました。天照大神、素戔嗚尊、月読命が摂社に祀られています。

正面鳥居をくぐると正面には五幸稲荷社があります。そのわきには休憩できるように椅子が並べられていました。こじんまりとした境内ですが、初詣と夏祭は大勢の人で賑わっているようです。

こちらが手水舎です。その横にはおみくじを結びつけるスペースが設けられていました。

手水舎付近に並べられていた蛙や亀の置物が可愛かったです。

こちらが『亀井水』という聖徳太子が命名した井戸です。元は森ノ宮駅前にあった井戸のようですが、境内に移されたみたいです。当時は井戸の周辺に温泉が湧いていたとか。付近には森ノ宮遺跡という遺跡もあったようです。

鵲森宮は森ノ宮駅から徒歩2分程の便利な立地に鎮座していました。森ノ宮キューズモールや大阪城公園(ピース大阪方面)からも近く、玉造稲荷神社にも徒歩で行けるようです。森ノ宮キューズモールは敷地は広いですが、店舗数がそれほど多くなかったように思います。土曜日でしたが空いていました。
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コメント
コメント一覧
森ノ宮は仕事で大坂城に行くとき、公共交通機関を使う場合によく使う駅ですが、そこ自体を歩いたことがありません。また玉造もキョーセラさんを訪問するときに貸切バスを使うので、やはり周辺を歩いたことがありません。
最近、推古天皇の小説を読み、また聖徳太子の小説も借りてあるので、用明天皇にも興味が湧きつつあります。投稿ありがとうございます!
MIKOさん、こんにちは。コメントありがとうございます。私もふと思い立ち周辺にある神社を調べてみたら駅のすぐ近くにあるのを見つけたんです。
聖徳太子の父母神が祀られた神社に参拝するのは初めてでしたので、とても珍しく感じました。
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さんログアウト
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