前回の続きで藤井寺市にある野中神社を出た後、履中天皇陵付近の国道を通って近鉄藤井寺駅まで向かいました。その道中、大きな古墳に出くわしたので紹介したいと思います。
『仲哀天皇陵古墳』(別名:岡ミサンザイ古墳)は古墳時代4世紀後半~5世紀後半頃に造営されたと考えられる前方後円墳です。宮内庁によって仲哀天皇の陵墓に指定されています。
お濠の周りを囲むように遊歩道が舗装されているのでぐるっと歩いて見て回ることができました。
墳丘の全長は245mあるそうです。近くで見るとくびれ部分がくっきりしていました。
発掘調査の結果、円筒埴輪や家・キヌガサ・船・馬・人形などの形象埴輪が出土されたようです。古墳は宮内庁によって管理されています。
前方部に拝所が設けられていました。拝所付近は車の通り抜けができなくなっています。
3段の墳丘が築かれた仲哀天皇陵古墳は、室町時代にはお城として利用されていたこともあるようです。
くびれの東部に造り出しがあります。造り出しではかつて祭祀などが行われていたと推測されます。
雪の降る寒い季節に訪れたんですが、ちょうど梅が咲き始めていました。
仲哀天皇陵古墳は近鉄藤井寺駅の南に位置していて、徒歩だと15分くらいかかります。古墳を通り過ぎ、駅に向かう道中に大きな神社を見つけたので次回紹介したいと思います。お読みくださりありがとうございました。
仲哀天皇陵古墳の地図
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『仲哀天皇陵古墳』(別名:岡ミサンザイ古墳)は古墳時代4世紀後半~5世紀後半頃に造営されたと考えられる前方後円墳です。宮内庁によって仲哀天皇の陵墓に指定されています。
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墳丘の全長は245mあるそうです。近くで見るとくびれ部分がくっきりしていました。
発掘調査の結果、円筒埴輪や家・キヌガサ・船・馬・人形などの形象埴輪が出土されたようです。古墳は宮内庁によって管理されています。
前方部に拝所が設けられていました。拝所付近は車の通り抜けができなくなっています。
3段の墳丘が築かれた仲哀天皇陵古墳は、室町時代にはお城として利用されていたこともあるようです。
くびれの東部に造り出しがあります。造り出しではかつて祭祀などが行われていたと推測されます。
雪の降る寒い季節に訪れたんですが、ちょうど梅が咲き始めていました。
仲哀天皇陵古墳は近鉄藤井寺駅の南に位置していて、徒歩だと15分くらいかかります。古墳を通り過ぎ、駅に向かう道中に大きな神社を見つけたので次回紹介したいと思います。お読みくださりありがとうございました。
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