前回の続きで巨勢山座岩椋神社を後にし、高取川沿いを歩いて近鉄岡寺駅の西側に鎮座する『牟佐坐(むさにます)神社』を訪れました。明日香村を訪れた時車窓から見えていたのでいつも気になっていた神社です。
この日訪れた3社目の神社ですが、3社とも丘の上に鎮座しているという共通点がありました。鳥居をくぐって石段を登ったところに拝殿があります。
木々の中にぽっかりと開けた空間があります。拝殿は入母屋造り。
ご祭神は高皇産霊命と孝元天皇。高皇産霊命は高天原に現れた造化三神の一神で、孝元天皇は第8代天皇です。牟佐坐神社の鎮座する場所が孝元天皇が即位した宮地だったそうです。
~境内由緒書きから引用~
拝殿は閉ざされていましたが、内側に百人一首の奉納絵馬が掛けられているようです。
階段の下に摂社が2社ありましたが、詳細は分かりませんでした。
柿本人麻呂が詠んだ歌碑もありました。亡くなった奥さんを偲ぶ歌のようです。
無人の神社でしたが、駅前で開けた場所にあるので明るい雰囲気でした。
地図を見てみると、去年訪れた益田岩船遺跡からわりと近い場所だと判明しました。
この日は午前中に3社神社巡りをしましたが、お昼時になってお腹が空いたので飛鳥駅前まで歩いてランチを食べることにしました。
線路沿いにある『Matsuyama cafe』が前から気になっていたのでそこに向かうことにしました。次回に続きます~。
牟佐坐神社の地図
よろしければ応援お願いいたします。
神社・お寺巡りランキング
にほんブログ村
この日訪れた3社目の神社ですが、3社とも丘の上に鎮座しているという共通点がありました。鳥居をくぐって石段を登ったところに拝殿があります。
木々の中にぽっかりと開けた空間があります。拝殿は入母屋造り。
ご祭神は高皇産霊命と孝元天皇。高皇産霊命は高天原に現れた造化三神の一神で、孝元天皇は第8代天皇です。牟佐坐神社の鎮座する場所が孝元天皇が即位した宮地だったそうです。
~境内由緒書きから引用~
日本書紀天武天皇紀は安康天皇の御代 牟佐村(現見瀬町)村主 青の経営であった。当時の祭神は生雷神(即ち雷公)であり 江戸初期まで榊原(境原)天神と称されていた。 享保の頃に菅原道真公を祭神としたが明治に至り 古道再び明らかにと天津神である高皇産霊命を 奉祀して今日に至る。境内は孝元天皇の即位された宮地と伝えられている。
創建されて以来、頻繁にご祭神が変わっているようです。
狛犬の足元に白蛇の置物がありました。
創建されて以来、頻繁にご祭神が変わっているようです。
狛犬の足元に白蛇の置物がありました。
拝殿は閉ざされていましたが、内側に百人一首の奉納絵馬が掛けられているようです。
階段の下に摂社が2社ありましたが、詳細は分かりませんでした。
柿本人麻呂が詠んだ歌碑もありました。亡くなった奥さんを偲ぶ歌のようです。
無人の神社でしたが、駅前で開けた場所にあるので明るい雰囲気でした。
地図を見てみると、去年訪れた益田岩船遺跡からわりと近い場所だと判明しました。
この日は午前中に3社神社巡りをしましたが、お昼時になってお腹が空いたので飛鳥駅前まで歩いてランチを食べることにしました。
線路沿いにある『Matsuyama cafe』が前から気になっていたのでそこに向かうことにしました。次回に続きます~。
牟佐坐神社の地図
よろしければ応援お願いいたします。
神社・お寺巡りランキング
にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。