3泊4日で東京・千葉に旅行した時に訪れた場所を紹介しています。2日目、忘年会のため船橋市に向かいましたが時間があったので船橋大神宮に参拝。船橋駅周辺に戻る道中、赤い鳥居を見つけたので足を止めました。
※京成線の大神宮下駅が近いそうです。近くに神宮球場はないそうです。
鳥居には『御蔵稲荷神社』と書かれています。後で紹介しますが御蔵というのは穀物などを貯蔵しておく蔵のようです。

稲荷と社名にもあるようにご祭神は作物・食物を司る宇迦御霊神(お稲荷さん)です。前回ご紹介した船橋大神宮(意富比神社)の飛地境内社にあたるようです。

江戸時代初期に徳川家康がこの辺りに船橋御殿を建てたのが始まりで、跡地は富氏へ継承されたそうです。富氏というのはこの地方の豪族のようで、意富比神社の祖神が富氏一族と関連があるという説もあるみたいです。

その後、徳川家光の時代に飢饉に備えて御蔵が建てられ穀物が収蔵されるようになりました。この御蔵のおかげで度々の飢饉を乗り越えられたようです。

飢饉以降も河川の氾濫などの災害が起きた際に、社殿が避難所や炊き出し所として使用され多くの人々を救ったとのことです。
路地の奥まった場所に鎮座していましたが、赤い社殿が目を引くので小さいながらも存在感のある神社でした。何より神社にまつわるエピソードが素敵だなと思い紹介させていただきました。
御蔵稲荷神社の地図
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※京成線の大神宮下駅が近いそうです。近くに神宮球場はないそうです。
鳥居には『御蔵稲荷神社』と書かれています。後で紹介しますが御蔵というのは穀物などを貯蔵しておく蔵のようです。

稲荷と社名にもあるようにご祭神は作物・食物を司る宇迦御霊神(お稲荷さん)です。前回ご紹介した船橋大神宮(意富比神社)の飛地境内社にあたるようです。

江戸時代初期に徳川家康がこの辺りに船橋御殿を建てたのが始まりで、跡地は富氏へ継承されたそうです。富氏というのはこの地方の豪族のようで、意富比神社の祖神が富氏一族と関連があるという説もあるみたいです。

その後、徳川家光の時代に飢饉に備えて御蔵が建てられ穀物が収蔵されるようになりました。この御蔵のおかげで度々の飢饉を乗り越えられたようです。

飢饉以降も河川の氾濫などの災害が起きた際に、社殿が避難所や炊き出し所として使用され多くの人々を救ったとのことです。
路地の奥まった場所に鎮座していましたが、赤い社殿が目を引くので小さいながらも存在感のある神社でした。何より神社にまつわるエピソードが素敵だなと思い紹介させていただきました。
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コメント
コメント一覧
近くに神宮球場はありません。
教えてくださりありがとうございます。
blogに加筆させていただきました!