前回の続きで志紀長原神社を後にして、自転車で5分くらいの距離に鎮座する『産土(うぶすな)神社』を訪ねました。住宅地の中に鎮座していて、正面には聞名寺というお寺があります。
創建年は不詳ですが、旧社殿の棟札には天保7年上棟という記述があったようです。
当時は元牛頭天王社という社名だったとのことですが、牛頭天王というのは素戔嗚尊のことだとされています。社殿の中をのぞいてみると素戔嗚尊神社という札が見えます。
明治5年に現在の社名になったそうですが、どういった経緯があったのかは分かりません。産土神社というのはその人が生まれてから一生を守護してくれる神社という意味合いもありますが、こちらの神社は特にそういったものとは関係ないように思われます。
おそらく現在も素戔嗚尊が祀られていると思われます。開運厄除けにご利益のある神様で、天照大御神の弟神であることでも知られています。
社殿は真新しく見えますが、昭和後期に建て替えられたそうです。
社殿脇に小さなお社がありました。何の神様が祀られているかなどの記述はありません。
社殿向かって左側には社務所のような建物がありました。
小さな神社なので駐車場はありませんでした。徒歩か自転車での参拝をおすすめします。
産土神社の地図
産土神社と同規模の神社が近くにあります。こちらは『天照皇大神社』という社名ですが、規模や社殿の造りともに産土神社とよく似ています。
明治5年には産土神社に合祀されるも明治13年には分離されたようです。天照大御神・春日大神・八幡大神が祀られています。
産土神社、天照皇大神社ともに志紀長吉神社さんが管理されているようです。
天照皇大神社の地図
次回で長原エリア編は最終回になります。
今回の2社から少し北に位置する神社をご紹介予定です。
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創建年は不詳ですが、旧社殿の棟札には天保7年上棟という記述があったようです。
当時は元牛頭天王社という社名だったとのことですが、牛頭天王というのは素戔嗚尊のことだとされています。社殿の中をのぞいてみると素戔嗚尊神社という札が見えます。
明治5年に現在の社名になったそうですが、どういった経緯があったのかは分かりません。産土神社というのはその人が生まれてから一生を守護してくれる神社という意味合いもありますが、こちらの神社は特にそういったものとは関係ないように思われます。
おそらく現在も素戔嗚尊が祀られていると思われます。開運厄除けにご利益のある神様で、天照大御神の弟神であることでも知られています。
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社殿脇に小さなお社がありました。何の神様が祀られているかなどの記述はありません。
社殿向かって左側には社務所のような建物がありました。
小さな神社なので駐車場はありませんでした。徒歩か自転車での参拝をおすすめします。
産土神社の地図
産土神社と同規模の神社が近くにあります。こちらは『天照皇大神社』という社名ですが、規模や社殿の造りともに産土神社とよく似ています。
明治5年には産土神社に合祀されるも明治13年には分離されたようです。天照大御神・春日大神・八幡大神が祀られています。
産土神社、天照皇大神社ともに志紀長吉神社さんが管理されているようです。
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