前回の続きで高取山に登った時の話になります。宗泉寺を出ていよいよ山登りが始まります。登り口には『高取城址』と書かれた石碑が立てられていました。

IMG_5483
この先は『七曲り』と言って曲がりくねった道が続いています。敵が攻めてきた時見通しを悪くするためこのような道が作られたようです。

奥飛鳥と高取町城下町へと続く大手筋の分岐点にあたる場所には猿石という猿の形をした石が置かれていました。飛鳥時代に作られたもののようで、築城の際に石垣に転用するため明日香村から運ばれたと伝えられているとのことです。

IMG_5486

下の記事は以前書いたものですが、ご参考に見ていただけると嬉しいです。


この吉備姫王墓前に並べられた猿石と山中の猿石は同類のものと考えられています。猿石の前にはベンチが置かれているのでここで一休みもできます。

高取山が普通の山と違うところは山中のいたるところに人為的な石垣が積まれていることです。お城の名残のようなものを感じながら山頂を目指しました。

IMG_5487
本丸まであと少しというところで、国見櫓に立ち寄ることにしました。ここは天守台よりも見晴らしが良かったので登山の際には立ち寄ることをお勧めします。

FullSizeRender
ここから奈良の山々がよく見えていました。下の写真は左端から二上山、貝吹山地区、畝傍山と右端に小さく見えている山が耳成山です。

FullSizeRender

IMG_5496
ここで休憩した後、城址に向かいました。国見櫓から城址まではすぐそこです。

IMG_5499

IMG_5500
ここで高取城の歴史を簡単に紹介します。

高取城は1332年南北朝時代に豪族・越智一族によって砦のような城が築かれたのが始まりです。その後1585年に郡山城主の豊臣秀長の重臣だった本多利久が高取城主となり、天守閣や石塁などの築城が進められました。

IMG_5502
1640年には植村家政が高取藩主となりましたが、その後228年間植村家が藩主をつとめたそうです。最初は山中に住居があったようですが、生活が不便なため城下町に移されたようです。

高取城下町には今でも住居が残されています。

IMG_5473
その後明治維新で廃城になりましたが、現在でも遺構をとどめており歴史好きな方や登山客が訪れているようです。

昭和28年には国の史跡に指定されました。また、日本100名城にも選定されています。

FullSizeRender

FullSizeRender
山頂まで石を運んで築城するのは本当に大変な作業だったのではないでしょうか。

FullSizeRender

IMG_5515
本丸はかつての名残なのか石垣がいたるところに見られました。

FullSizeRender
ここから吉野山や大台ケ原方面を見渡すことができます。

FullSizeRender

IMG_5514
高取山は標高583mと二上山とほぼ同じくらいで、簡単に登れる低山です。日本100名城巡りをされている方や遺構が好きな方は是非訪れてみてください。






高取城址の地図



次回は壷阪寺方面に下山する途中に見つけた仏教史跡をご紹介します。
よろしければ応援お願いいたします。

神社・お寺巡りランキング

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村