高取城址を散策した後は壷阪寺方面に下山しました。壷阪寺から500mほど離れた山中に今回紹介する『五百羅漢(ごひゃくらかん)』はあります。前回高取山を訪れた時、五百羅漢を見落としてしまっていたので今回は見れて良かったです。
下山中、右手に壷阪寺奥之院の標識が見え坂を上っていきました。
なだらかな山道に出るとお地蔵さんがずらりと並ぶ光景が目に入ってきました。これは信者の方によって奉納されたもののようです。
その奥にごつごつした岩があり、近くまで行って見てみると岩肌に彫刻が施されていることが分かります。
近づいてみると無数の仏像が確認できました。『五百羅漢』という名前の由来についてですが、羅漢とは修行を重ねて悟りをひらいた高僧をさすようです。お釈迦様の弟子の中でも高位者に与えられた称号だそうです。
お釈迦様の入滅後、経典を編纂するために集まった羅漢の数が500人だったことから五百羅漢と呼ばれるようになったとのことです。
いつ彫られたのかは定かではありませんが、16世紀末に本田利久が高取城築城の際に石工に命じて彫らせたのではないかと推測されているそうです。
岩は手の届くような場所にはないので、足場の悪い中作業を行っていたことが想像されます。年月を経て苔むしてはいますが、色あせることなくはっきりその様子を見ることができました。
壷阪寺からは坂道が続くので軽い登山になりますが、実物を見てみたいと思われた方は是非奥之院まで足を運んでみてください。
壷阪寺奥之院・五百羅漢の地図
よろしければ応援お願いいたします。
神社・お寺巡りランキング
にほんブログ村
下山中、右手に壷阪寺奥之院の標識が見え坂を上っていきました。
なだらかな山道に出るとお地蔵さんがずらりと並ぶ光景が目に入ってきました。これは信者の方によって奉納されたもののようです。
その奥にごつごつした岩があり、近くまで行って見てみると岩肌に彫刻が施されていることが分かります。
近づいてみると無数の仏像が確認できました。『五百羅漢』という名前の由来についてですが、羅漢とは修行を重ねて悟りをひらいた高僧をさすようです。お釈迦様の弟子の中でも高位者に与えられた称号だそうです。
お釈迦様の入滅後、経典を編纂するために集まった羅漢の数が500人だったことから五百羅漢と呼ばれるようになったとのことです。
いつ彫られたのかは定かではありませんが、16世紀末に本田利久が高取城築城の際に石工に命じて彫らせたのではないかと推測されているそうです。
岩は手の届くような場所にはないので、足場の悪い中作業を行っていたことが想像されます。年月を経て苔むしてはいますが、色あせることなくはっきりその様子を見ることができました。
壷阪寺からは坂道が続くので軽い登山になりますが、実物を見てみたいと思われた方は是非奥之院まで足を運んでみてください。
壷阪寺奥之院・五百羅漢の地図
よろしければ応援お願いいたします。
神社・お寺巡りランキング
にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。