今年の6月末に桜井駅から大神神社まで歩きました。まずは大和川の河川敷にある仏教伝来の地から紹介します。
大和川沿いの金屋という地域は古来には大陸からの船が到着する船着き場だったようです。欽明天皇の時代、この地に百済から仏教が伝わりました。
河川敷に仏教伝来の地と刻まれた石碑が建てられています。
この時欽明天皇に仏教受け入れを進言したのが蘇我稲目でした。その後仏教を巡って蘇我氏と物部氏は対立し、587年蘇我馬子らによって物部守屋が暗殺され物部氏は滅びます。
仏教はその後に蘇我氏によって各地に広がっていったそうです。
山の辺の道を少し進むと海柘榴市(つばいち)観音堂があります。山の辺の道と大和川の水路が交わる場所、海柘榴市は日本最古の市が開かれた場所でした。
また、男女が恋の歌をかけ合う出会いの場でもありました。明日香村の万葉文化館には当時の様子を再現したジオラマがあります。
海柘榴市はその後、長谷寺詣での宿場として発展していったそうです。現在は当時の名残はほとんどなく、小さなお堂が祀られているのみです。
更に山の辺の道を進んで行くと、平等寺という曹洞宗の寺院があります。
1807年の神仏分離令で廃寺になるも、1977年に再建されたそうです。現在の様子はその当時からの姿です。
境内には本堂の他に仏塔や鐘楼があります。たくさんの紫陽花が植えられていました。
本堂にはご本尊の十一面観音像が安置されています。
平等寺は聖徳太子によって開基されたため、境内には聖徳太子の石像もあります。
神仏分離令発令前までは平等寺は大神神社の神宮寺だったようです。そのため大神神社から近い距離のところにあります。
誰でも自由に拝観ができますので大神神社に来られた際はこちらのお寺にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
仏教伝来の地の地図
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大和川沿いの金屋という地域は古来には大陸からの船が到着する船着き場だったようです。欽明天皇の時代、この地に百済から仏教が伝わりました。
河川敷に仏教伝来の地と刻まれた石碑が建てられています。
この時欽明天皇に仏教受け入れを進言したのが蘇我稲目でした。その後仏教を巡って蘇我氏と物部氏は対立し、587年蘇我馬子らによって物部守屋が暗殺され物部氏は滅びます。
仏教はその後に蘇我氏によって各地に広がっていったそうです。
山の辺の道を少し進むと海柘榴市(つばいち)観音堂があります。山の辺の道と大和川の水路が交わる場所、海柘榴市は日本最古の市が開かれた場所でした。
また、男女が恋の歌をかけ合う出会いの場でもありました。明日香村の万葉文化館には当時の様子を再現したジオラマがあります。
海柘榴市はその後、長谷寺詣での宿場として発展していったそうです。現在は当時の名残はほとんどなく、小さなお堂が祀られているのみです。
更に山の辺の道を進んで行くと、平等寺という曹洞宗の寺院があります。
1807年の神仏分離令で廃寺になるも、1977年に再建されたそうです。現在の様子はその当時からの姿です。
境内には本堂の他に仏塔や鐘楼があります。たくさんの紫陽花が植えられていました。
本堂にはご本尊の十一面観音像が安置されています。
平等寺は聖徳太子によって開基されたため、境内には聖徳太子の石像もあります。
神仏分離令発令前までは平等寺は大神神社の神宮寺だったようです。そのため大神神社から近い距離のところにあります。
誰でも自由に拝観ができますので大神神社に来られた際はこちらのお寺にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
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コメント
コメント一覧
松野さん、いつもコメントありがとうございます!
ここで紹介している場所は車だと少し行きにくい細い道もあります。
山の辺の道ルートにあるので歩いて回られるのがおすすめです♪
そう言っていただけて良かったです。
私も今度松野さんが載せられてた耳成山に行ってみようと思います☺
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