前回に続いて自転車で田原本町の神社巡りをした時の話になります。村屋神社を目指し自転車を走らせていると田んぼの中に鎮座している神社を見つけ立ち寄りました。それが今回ご紹介する『岐多志太(きたした)神社』です。

岐多志太神社は式内小社で、崇神天皇7年から現在の場所に鎮座しています。社名の"きたした"というのはきた(鉄)を鍛える鉄工の神様という意味合いがあるそうです。
当地域を拠点にしていた鏡作連の祖・鍛冶師連が崇敬していた神社らしく、天香語山命(石凝姥命)と天児屋根命がご祭神として祀られています。

天香語山命は農業・開発の神様であり、芸能の神様でもあるらしく、神武天皇を救った神様としても知られているようです。物部氏の祖神である饒速日命と天道日女神との間に生まれた神様です。
天児屋根命は春日神とも呼ばれています。天照大御神が岩戸に隠れた時、祝詞を唱えたことから託宣の神様として知られています。
この2柱は唐子・鍵遺跡付近に鎮座する鏡作神社のご祭神でもあります。

拝殿は春日造で1921年にに三間半×二間と従来の二倍を超える規模に改築されたとのことです。

田原本駅からは2.5kmほど距離がありますが、自転車で訪れるとそれほど遠く感じませんでした。ここから二上山や山の辺の道方面がよく見えていて、のどかで癒されました。
岐多志太神社の御朱印も森市神社と同様に、村屋神社でいただけるそうです。村屋神社については次回紹介させていただきます。
岐多志太神社の地図
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岐多志太神社は式内小社で、崇神天皇7年から現在の場所に鎮座しています。社名の"きたした"というのはきた(鉄)を鍛える鉄工の神様という意味合いがあるそうです。
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天香語山命は農業・開発の神様であり、芸能の神様でもあるらしく、神武天皇を救った神様としても知られているようです。物部氏の祖神である饒速日命と天道日女神との間に生まれた神様です。
天児屋根命は春日神とも呼ばれています。天照大御神が岩戸に隠れた時、祝詞を唱えたことから託宣の神様として知られています。
この2柱は唐子・鍵遺跡付近に鎮座する鏡作神社のご祭神でもあります。

拝殿は春日造で1921年にに三間半×二間と従来の二倍を超える規模に改築されたとのことです。

田原本駅からは2.5kmほど距離がありますが、自転車で訪れるとそれほど遠く感じませんでした。ここから二上山や山の辺の道方面がよく見えていて、のどかで癒されました。
岐多志太神社の御朱印も森市神社と同様に、村屋神社でいただけるそうです。村屋神社については次回紹介させていただきます。
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