今回は大阪市平野区喜連の昔ながらの街並みの中に鎮座する式内楯原神社を紹介します。式内楯原神社は最寄りが大阪メトロ谷町線の喜連瓜破駅で、徒歩15分ほどの距離にあります。私はいつものことながら堺市から自転車で訪れました。

鳥居が二カ所あってこちらは手水舎のある正門のような場所です。

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もう一カ所の鳥居をくぐり参道を進むと正面に拝殿があります。どちらも立派な鳥居でした。

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式内楯原神社は867年延喜式神名帳に名前を連ねた古社で、武甕槌大神・大国主大神・孝元天皇・菅原道真・赤留比売命がご祭神として祀られています。

武甕槌大神は鹿島神宮の主祭神でもあります。雷・剣の神様、相撲の神様として知られています。大国主大神は国譲りの神様で縁結びの神様です。菅原道真は学問の神様として知られます。赤留比売命はやりなおし神社で知られる姫嶋神社のご祭神ですが、朝鮮半島の新羅から海を渡って夫から逃げて日本にやってきて女性たちに様々な技術を伝えた神様です。

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本殿の右側から裏手に行くことができるんですが、裏手にはいくつかの摂社が並んでいます。

中でも珍しいのがこちらの十種神宝社で、石上神宮の十種神宝という宝物が祀られているそうです。



こちらの神社に祀られるようになった経緯はWikipediaに載っていたものを引用させていただきます。

天正元年(1573年)に石上神宮が織田信長の焼き打ちに遭った際、十種神宝も持ち出されて所在不明となっていた。ところが、何者かが神宝を保護しており、豊臣秀吉がこれ聞いて「生魂の森」の深くに奉納した。しかし、慶応3年(1867年)にお蔭参りの興奮の中で神宝は「生魂の森」から持ち去られた。その後、町の古道具屋の店頭に晒されていたところを喜連に住む小林某なる人が発見し、買い求めて家に祀った。小林氏はこの地を去る際に神宝を浅井家に預け、浅井家もまたこの地の旧家増池氏に預けたが、増池氏は昭和初年に楯原神社に奉納し、社殿を建立して「十種神宝社」と称して奉斎した。その後、室戸台風に遭い社殿が壊れたため、永らく拝殿に祀っていたが、今里の庄司氏(石上神宮守護職の子
孫)から石上神宮に返すよう頼まれたときも返さず、新しい社殿を建立して祀り続けた。
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このまま石上神宮に返さずに祀っておいていいのかが気になるところではあります。この十種神宝というのは、饒速日命が天磐船に乗り河内に降臨した時に天照大御神から授かった宝物のことのようです。

本殿の背後に大きな木がそびえ立っているのが見えていましたが、近くまで行ってみると楠だと分かりました。根本に楠社が祀られています。

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他にも拝所がありました。

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神社の隣には妙願寺というお寺があるんですが、かつて神宮寺だった名残で境内には釣鐘が残されています。釣鐘のある付近は物置のようになっていました。

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境内には大きな樹々が多く、木陰に入っているととても涼しく長居したくなるような心地よさを感じました。






式内楯原神社の地図




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