名張市の赤目四十八滝から近鉄線赤目口駅までの道中、最後に訪れたのが赤目町柏原に鎮座する『勝手神社』です。勝手神社は名張市の黒田という地域にもう一社あるようです。

1562年、仕官・滝野十郎吉政が吉野山の勝手神社から勧請したのが始まりのようです。吉野山に鎮座する勝手神社は2001年に不審火により勝手神社の社殿が焼失し、現在は鳥居のみ残っています。
詳しくはこちらをご覧ください。
ご祭神は、
天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)

1562年、仕官・滝野十郎吉政が吉野山の勝手神社から勧請したのが始まりのようです。吉野山に鎮座する勝手神社は2001年に不審火により勝手神社の社殿が焼失し、現在は鳥居のみ残っています。
詳しくはこちらをご覧ください。
ご祭神は、
天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
大日霎命(オオヒルメノミコト)
大日霎命は調べたところ、天照大御神の別称と出てきました。建速須佐之男命は天照大御神の弟・スサノオノミコトのことです。

鳥居をくぐって階段を上がった先に拝殿があります。書置きの御朱印や伊賀地域の神社名鑑、護摩木などが置かれていました。
1581年、大正伊賀の乱で織田軍勢により社殿を焼かれたようですが、その後村人たちによって再建されたとのことです。
神社の外には『決戦の地 柏原城』の石碑がありました。伊賀の乱400年記念で建立されたようです。柏原城は滝野貞清という人物によって築城された城だそうです。

隣には薬師堂というお堂がありました。薬師如来がご本尊として安置されています。


鳥居の向こうには田園風景が広がっています。かつては戦場だったとは思えないようなのどかで落ち着く場所でした。
ここから15分程歩いて赤目口駅に到着しました。ちょうど電車が来たところでタイミング良く乗車で来てよかったです。赤目口駅から大阪の鶴橋駅まで電車一本で帰れるなんて知らなかったです。意外と三重県って近いんだなぁと思いました。また三重県に行きたいです。
勝手神社の地図

鳥居をくぐって階段を上がった先に拝殿があります。書置きの御朱印や伊賀地域の神社名鑑、護摩木などが置かれていました。
1581年、大正伊賀の乱で織田軍勢により社殿を焼かれたようですが、その後村人たちによって再建されたとのことです。
神社の外には『決戦の地 柏原城』の石碑がありました。伊賀の乱400年記念で建立されたようです。柏原城は滝野貞清という人物によって築城された城だそうです。

隣には薬師堂というお堂がありました。薬師如来がご本尊として安置されています。


鳥居の向こうには田園風景が広がっています。かつては戦場だったとは思えないようなのどかで落ち着く場所でした。
ここから15分程歩いて赤目口駅に到着しました。ちょうど電車が来たところでタイミング良く乗車で来てよかったです。赤目口駅から大阪の鶴橋駅まで電車一本で帰れるなんて知らなかったです。意外と三重県って近いんだなぁと思いました。また三重県に行きたいです。
勝手神社の地図
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