前回の続きで大阪市の玉造を訪れた時の話になります。用事を済ませた後、真田幸村ゆかりの三光神社と以前から気になっていた玉造稲荷神社にお詣りしました。

玉造稲荷神社の創建は垂仁天皇18年(紀元前12年)で、御祭神として宇迦之御魂大神、相殿神に下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命が祀られています。
神社のご由緒はWikipediaから引用させていただきました。

玉造稲荷神社は古くは勾玉を作っていた玉造部の居住地だったとされ、豊臣家ゆかりの地でもあります。
境内には豊臣秀頼の像があります。豊臣秀頼は豊臣秀吉と淀殿のあいだに生まれた子です。

1603年に秀頼が奉納した鳥居のようです。半分以上が地中に埋まっています。

こちらは胞衣塚大明神で淀殿と赤子だった秀頼を結んでいた胞衣が祀られています。

境内には豊臣家が用いた家紋のモチーフとなった日本桐が植えられていました。

玉造部の居住地だったことにちなみ境内には難波玉造資料館が建てられています。こちらは1986年に開館したようです。
見学するにはホームページから一週間前までに予約が必要だそうです。こちらのページの"お問い合わせはこちら"から予約画面に進むことができますのでご興味のある方はどうぞ。ちなみに授与所には勾玉の形をした様々なお守りが並べられていました。

この地は千利休が一時暮らしていた場所でもあるようで、千利休がお茶用の水を汲んでいた井戸が残されています。下の写真は井戸ではなく顕彰碑です。

境内摂社として厳島神社に市杵島姫命が祀られていました。女性を守護してくれる女神様です。

こちらの梅薬師・道祖神は令和2年にコロナウイルスの終息と人々の安全を願い祭祀されるようになったそうです。

毛利家 大阪城築城 刻印石も置かれていました。

近くで見ると刻印がはっきり分かります。

境内に歴史上の人物ゆかりの史跡がたくさん残されているので、歴史が好きな方や歴史を学びたいという方にもおすすめしたい神社です。
今回は玉造駅から歩いて行きましたが、地図で見ると森ノ宮駅からの方が近いです。大阪城からも徒歩圏内なので大阪城にお越しの際は玉造稲荷神社にも参拝されてみてはいかがでしょうか。
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玉造稲荷神社の地図
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玉造稲荷神社の創建は垂仁天皇18年(紀元前12年)で、御祭神として宇迦之御魂大神、相殿神に下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命が祀られています。
神社のご由緒はWikipediaから引用させていただきました。
社伝によれば垂仁天皇18年に天皇によって創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の天正4年の戦火で荒廃してしまっていたが、慶長8年に豊臣秀頼により社殿や高殿(舞台)が再建された。しかし、慶長20年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失した。元和5年、江戸幕府の大坂城代内藤信正や氏子らの寄進によって再建された。社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。文久3年11月の大坂大火(新町焼)で焼失するが、1871年に再建される。現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。

玉造稲荷神社は古くは勾玉を作っていた玉造部の居住地だったとされ、豊臣家ゆかりの地でもあります。
境内には豊臣秀頼の像があります。豊臣秀頼は豊臣秀吉と淀殿のあいだに生まれた子です。

1603年に秀頼が奉納した鳥居のようです。半分以上が地中に埋まっています。

こちらは胞衣塚大明神で淀殿と赤子だった秀頼を結んでいた胞衣が祀られています。

境内には豊臣家が用いた家紋のモチーフとなった日本桐が植えられていました。

玉造部の居住地だったことにちなみ境内には難波玉造資料館が建てられています。こちらは1986年に開館したようです。
見学するにはホームページから一週間前までに予約が必要だそうです。こちらのページの"お問い合わせはこちら"から予約画面に進むことができますのでご興味のある方はどうぞ。ちなみに授与所には勾玉の形をした様々なお守りが並べられていました。

この地は千利休が一時暮らしていた場所でもあるようで、千利休がお茶用の水を汲んでいた井戸が残されています。下の写真は井戸ではなく顕彰碑です。

境内摂社として厳島神社に市杵島姫命が祀られていました。女性を守護してくれる女神様です。

こちらの梅薬師・道祖神は令和2年にコロナウイルスの終息と人々の安全を願い祭祀されるようになったそうです。

毛利家 大阪城築城 刻印石も置かれていました。

近くで見ると刻印がはっきり分かります。

境内に歴史上の人物ゆかりの史跡がたくさん残されているので、歴史が好きな方や歴史を学びたいという方にもおすすめしたい神社です。
今回は玉造駅から歩いて行きましたが、地図で見ると森ノ宮駅からの方が近いです。大阪城からも徒歩圏内なので大阪城にお越しの際は玉造稲荷神社にも参拝されてみてはいかがでしょうか。
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