前回の続きで熊野古道紀伊路を歩いた日の話になります。海南駅から熊野古道に入り、まず目に入ってきたのが熊野古道一の鳥居跡という立て札でした。かつてこの場所に一の鳥居が立てられていたようです。

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ここから数百メートルほど離れたところに祓戸王子跡がありました。私は熊野古道初心者で、この〇〇王子というのが何のことか知りませんでした。

〇〇王子というのは熊野詣での際の休憩所・御旅所のようなもので、この後訪れた藤白王子は熊野九十九王子の中でも格の高い五体王子のひとつとされたそうです。

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祓戸王子は祓という文字がついていることからも分かるように、ここで心身を清めてから熊野へ向かう場所だったようです。

写真は祓戸王子跡ではなく、さらにこの場所から北へ110m進むと王子跡があるようです。王子跡は訪れませんでした。

ルートへ戻り進んでいくと鈴木屋敷があります。この日は休業日で閉まっていたので外側から庭園や屋敷を覗かせてもらいました。

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鈴木屋敷とは鈴木姓の元祖とされる藤白の鈴木氏が住んでいた屋敷です。鈴木氏はこの地を拠点に熊野信仰を全国へ普及したり、熊野三山への案内役をつとめたり、屋敷で接待を行ったりしていたようです。

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屋敷から駐車場を挟んで向かいに藤白神社が鎮座しています。景行天皇5年に創建された神社で、九十九王子の中でも格の高い五体王子のひとつである藤代王子の旧跡でもあります。

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藤白鈴木氏の氏神である饒速日命がご祭神として祀られています。

配祀神:熊野坐大神・熊野速玉大神・熊野夫須美大神・天照大神・祓戸大神(1909年に祓戸王子から合祀)

本殿は戦乱で焼失するも、初代紀州藩主の徳川頼宣によって再建されたとのことです。

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境内社
子守楠神社・有間皇子神社・恵比須神社・祇園神社・住吉神社・塩竈神社・秋葉神社・巳神社

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子守楠神社:子供の神様。畿内各地で生まれた子供に楠・藤・熊の名をつけると長生きで出世をすると古来から言い伝えがあったそうです。朝ドラらんまんにも名前が登場した世界的な博物学者・南方熊楠もその一人と伝えられています。

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写真に収まりきらないくらいの見事な大木でした。

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有間皇子神社:中大兄皇子の政敵とされ藤白坂で絞殺された有間皇子が祀られています。神社を出た藤白坂の先にも墓所がありました。

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また、神仏習合の名残で権現本堂には熊野三所権現本地仏である阿弥陀如来・薬師如来・千手観音が祀られ公開されています。

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藤白王子は熊野古道への玄関口であり、全国の熊野神社の源流となった重要な意味合いを持つ場所だということが分かりました。

次回は藤白坂からの峠越えの話になります。よければそちらもお読みいただけると幸いです。







藤白神社の地図




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