市比賣神社を後にして川を渡り次に訪れたのは豊国神社です。

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創建は1599年。豊国大明神という神号を下賜された豊臣秀吉がご祭神として祀られています。堺の偉人・千利休を切腹させたあの秀吉です。秀吉が祀られた神社は他にも大阪城公園や滋賀県長浜市、出身地である名古屋などにあります。

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豊臣家滅亡とともに徳川家康の命により社領が没収されましたが、明治天皇の勅命により再興されたようです。

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手水舎では秀吉の馬印であった瓢箪から水が出るようになっていました。

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拝殿の手前にある唐門の扉の部分上部には江戸時代に活躍した伝説の彫刻職人である左甚五郎の目無し鶴と呼ばれる「鶴」の彫刻と「鯉」の彫刻が施されています。唐門は国宝として保存されているようです。



左甚五郎の彫刻はこれまで滋賀県の三井寺や京都市の幸神社で目にしたことがあります。

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境内には稲荷社と国宝館があります。国宝館には秀吉の歯が展示されているそうです。

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現在の境内の大部分は豊臣秀吉によって創建された寺院・方広寺の寺領だったらしく、境内社の稲荷神社の隣に今も釣鐘が残されています。

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この釣鐘は豊臣家の財力を弱らせるため徳川家康が秀吉の実子・豊臣秀頼に命じて造らせたようですが、完成した梵鐘の銘文が問題とされ豊臣氏が滅亡する大坂の陣の発端とされてしまったようです。

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神社の西側には耳塚があります。秀吉が朝鮮出兵の際に持ち帰った兵士の耳を埋めたそうです。持ち帰る際に腐食を防ぐため酒に漬けられていたとのことです。立ち入りはできなくなっていました。きちんと供養されていればいいのですが…。

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豊国神社を後にして三十三間堂に向かいました。次回に続きます。






豊国神社の地図




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