今回のサイクリングの行き先は高安山に鎮座する天照大神高座神社でした。


宮司のおじいさんもお元気にされていて一年ぶりにお話しできて良かったです。

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敷地内には天照大神高座神社と岩戸神社がありどちらも管理されています。落ち葉掃除が大変そうでした。

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天照大神高座神社には天照大神、岩戸神社には市杵島姫命がそれぞれ祀られています。

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天照大神高座神社付近の地名が教興寺なので教興寺というお寺を探してみたところ少し離れたところにありました。誰もいなさそうでしたが山門が開いていたのでお参りして帰ることにしました。

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境内に入ると空からギャーギャーという鳴き声が聞こえて、見上げると鷺がカラスに追いかけられていました。鷺の方が大きいのにカラスの方が強そうに見えました。結局鷺の逃げるスピードに追い付けずカラスは諦めて引き返して行きました。

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教興寺は獅子吼山大慈三昧院教興寺というのが正式名称のようです。西大寺の末寺で、境内南方の寺池は臨池式大伽藍の遺構らしいです。境内にはもう一つ大門池という池もあります。池の向こうに不動明王が安置されていました。

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教興寺は588年、聖徳太子が物部守屋を討った時に奏川勝に命じて建立させたお寺だそうです。寺池付近にある建物が本堂(客殿があったところ)のようでした。弥勒菩薩がご本尊のお寺です。

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境内には湯川直光公勇戦の地碑が立てられています。

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これについては八尾市観光データベースに詳細が載っていたので引用させていただきます。

湯川直光公勇戦の地碑:戦国時代の永禄3年(1560)、三好長慶は河内を制圧し、飯盛城へ入城した。これに対して、河内の畠山高政らは、永禄5年、飯盛城を攻めたが、松永久秀らに押されて、五月二十日、教興寺表で合戦となった。この時、畠山方として戦っていた湯川宮内少輔直光が戦死した。湯川直光の本城は和歌山県御坊市にあるが、昭和63年5月同地の人々が、湯川直光の奮戦を記念して、教興寺境内にこの石碑を建てた。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】 

境内には2つの池と本堂の他に、鐘楼や大きな楠がありました。

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八尾市は聖徳太子と物部守屋が仏教を巡り争いを繰り広げた地で、いたるところに関連の史跡があります。今回訪れた高安山山麓から更に北上すると玉祖神社などがありますが、その近辺に史跡が集中しているようです。前回その辺りまで自転車で行って帰るのが大変だったので、行きたい気持ちはあるものの中々行動に移せずにいます。


帰りも大和川沿いのサイクリングロードを走りました。

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教興寺の地図




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