飛鳥坐神社の鳥居付近に飛鳥東垣内遺跡の案内板が立てられていますが、この付近に川が流れています。

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この川は狂心渠(たぶれごころのみぞ)と言って飛鳥時代、斉明天皇が宮殿の東山に石垣を築くため石材の運搬に利用するため造った運河の跡です。3万人を動員して大規模な工事を行ったため人々からそう名付けられたそうです。

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当時は批判的な目で見られていた運河の建設ですが、後に灌漑用の水路や防御用の濠としても利用できて斉明天皇の先見の明が感じられます。

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この狂心渠は飛鳥奥山の方まで続いていますが、今となっては田畑の間を流れる細い川となっていて当時よりはかなり規模が縮小されたのではないでしょうか。

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斉明天皇期には明日香村に点在する不思議な石造物が造られていますが、これらも狂心渠を使って運搬された石材から造られたのかもしれません。





次回は万葉文化館の隣にある不思議な石造物を紹介します。

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