万葉文化館に隣接する酒船石と亀形石造物を含む丘陵一帯に広がる遺跡は酒船石遺跡と呼ばれています。1927年4月8日に史跡に指定されています。

これらの石造物もまた斉明天皇の時代に造られたとみられるようです。

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酒船石遺跡は7世紀中頃飛鳥宮跡の北東部の丘陵に造営されたと考えられています。飛鳥宮跡は飛鳥時代の4代の天皇が儀式や政治を行った宮殿跡です。代替わりごとに遷都していた宮殿が初めて同じ地に造られたのが大きな特徴です。



丘を登ったところの竹林の中にありますが、酒を搾るために作られたという説や庭園の一部という説など諸説ありますが真相は分かっていません。

2025年2月に放送された歴史探偵という番組では、酒船石は占いに使われたのではないかと考察されていました。くぼみの部分に水を注ぎ笹船を浮かべ、笹船の行き先で占ったのではないかとのことです。

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古墳時代から水が用いられてきた祭祀の特徴が飛鳥時代にも受け継がれていたようです。



斉明天皇はかつて奥飛鳥の飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社で雨乞いの神事を行ったという言い伝えもあり、当時の政権は祭祀や神事を重要視していたのかもしれません。

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斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)説もあり、この地で祭祀が行われたと考えられています。斉明天皇(皇極天皇)は奥飛鳥に鎮座する飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社で雨乞いの儀式を行ったと伝えられており、その他にも儀式が行われた可能性があります。



丘の下部分、万葉文化館の駐車場すぐ隣には亀形石造物という不思議な形の石造物があります。

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亀の頭の部分が取水口になっていて甲羅にたまった水が尻尾から流れ出るようになっています。

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その南側には、亀の頭部に水を供給する船形の貯水槽があり、さらに南側には湧水施設が設けられています。この湧水施設から貯水槽へ、貯水槽から亀形石造物へ水が流れる仕組みになっているようです。

飛鳥時代に造られたとされる不思議な石造物はほとんど見てきましたが、高取町にある人頭石だけまだ見ていないので機会があれば見に行きたいと思います。




酒船石遺跡の地図



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