神社の由緒につきましては境内にあった案内書きを引用させていただきます。
稼穡稲荷社は、別名荏川稲荷ともいい、祭神は宇迦能比売命である。この稲荷のはじまりについては、こんな話が伝わっている。薩摩屋敷から六行会がこの土地をゆずりうけたとき稲荷社は北東の旧目黒川の方にあった。そこでそんな隅にあったのをたいそう気にしていた六行会の生みの親ともいえる 山本伴曹は、ある夜狐の嫁入りの夢をみた。山本伴曹は荏原神社の神主であった鈴木播磨に頼んで、伏見稲荷さんを分請したというのである。そしてそれは文久元年(一八六一年)という。稼は植える、穡は収める、とりいれを意味し、農業の意味である。稼はカセギともよみ、かせぎためると読み替え商売繁盛の神として命名した。稲荷の祭りは、春に田の神を里に迎える二月の初午である。赤い旗や白い旗を立て、 地口行灯を立て、世話人が赤飯を蒸して、町内の子供たち参詣人に配った。子供たちは、大鼓をたたき町内を回り、各家から菓子などをもらって歩いた。そんなお稲荷さんの初午は、昭和初期まで残っていた。一財田法人 六行会
稼穡稲荷神社の地図