前回紹介した御門神社は桜井市に鎮座している安倍晴明が祀られた神社ですが、そこから20分ほど田園風景の中を歩きました。大和三山で知られる天香久山方面に向かう途中の小高い丘の上に御厨子観音 妙法寺があります。
入口付近に磐余池の推定地である東池尻・池之内遺跡があり、大津皇子の辞世の句が刻まれた石碑が置かれています。

大津皇子のお墓は二上山の雌岳山頂、あるいは二上山の麓にある鳥谷口古墳のどちらかではないかと推定されるようです。
磐余池は日本古代に大和王権が磐余の地に造営させたとされる池として知られています。

みずし観音と刻まれた社標脇の石灯籠が続くゆるやかな坂道を上っていくと御厨子観音の御堂があります。

鐘楼は自由に撞くことができるようでした。

薄暗い曇りの日で境内には誰もいませんでした。
御厨子観音のご本尊は十一面観世音菩薩で、遣唐使として唐へ渡った吉備真備が無事に帰国できたことに感謝し、子である善覚律師に命じて創建させたお寺です。
同時期に遣唐使として唐に渡り役人として活躍をした阿倍仲麻呂は日本へは帰国できず唐で亡くなったと伝えられています。

一願成就のお寺としても知られているようです。
また、ぼけよけ地蔵尊として二十四霊場の第十四番札所でもあるそうです。

境内からは磐余池があったと考えられる場所を眺めることができます。
実は今回この地を訪れたのはすぐお隣にある御厨子神社が目的でした。飛鳥古代史チャンネルで境内の竹林の中にある真っ二つに割れた謎の石が気になり、一度訪れてみたいと考えていました。
御厨子神社の話は次回に続きます。
よろしければ応援お願いいたします。



入口付近に磐余池の推定地である東池尻・池之内遺跡があり、大津皇子の辞世の句が刻まれた石碑が置かれています。

大津皇子のお墓は二上山の雌岳山頂、あるいは二上山の麓にある鳥谷口古墳のどちらかではないかと推定されるようです。
磐余池は日本古代に大和王権が磐余の地に造営させたとされる池として知られています。

みずし観音と刻まれた社標脇の石灯籠が続くゆるやかな坂道を上っていくと御厨子観音の御堂があります。

鐘楼は自由に撞くことができるようでした。

薄暗い曇りの日で境内には誰もいませんでした。
御厨子観音のご本尊は十一面観世音菩薩で、遣唐使として唐へ渡った吉備真備が無事に帰国できたことに感謝し、子である善覚律師に命じて創建させたお寺です。


一願成就のお寺としても知られているようです。
また、ぼけよけ地蔵尊として二十四霊場の第十四番札所でもあるそうです。

境内からは磐余池があったと考えられる場所を眺めることができます。
実は今回この地を訪れたのはすぐお隣にある御厨子神社が目的でした。飛鳥古代史チャンネルで境内の竹林の中にある真っ二つに割れた謎の石が気になり、一度訪れてみたいと考えていました。
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