今年の冬に橿原神宮前から明日香村まで歩きました。午後から夕方まで少しの時間でしたが、いつもは自転車移動なのでゆっくり散歩をしていると道端の小さな花に気づいたり、いつもと異なる視点で明日香村を楽しめました。
軽のちまたと呼ばれかつて市場が開かれていた丈六の交差点を抜け真っ直ぐ歩いて行くと、以前訪れた孝元天皇陵があります。ここはまだ橿原市内です。

池の周りを囲むように桜の木が植わっていたので見頃に訪れたら綺麗な風景が見られると思います。池の周りの歩道には紀皇女が詠んだ和歌も。

更に進むと古宮遺跡があります。カメラマンが夕暮れ時によく訪れるスポットです。すぐ近くには民宿もあります。

古宮遺跡は小墾田宮ではないかと推定されてきた地ですが、昭和45年の発掘調査で推古天皇時代の庭園跡であることが判明しています。

すぐ近くの住宅地には豊浦寺跡があります。603年に推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に都を遷した後建立したとされるお寺です。

すぐ隣にある難波池には説話があり、かつて疫病が流行った際に災害は仏教崇拝によるものだと物部氏が仏像を難波池に投げ込んだと伝えられています。


このすぐ近くには甘樫坐神社が鎮座しています。古代の裁判・盟神探湯(くがたち)が行われてきた場所です。
神社の創建年は不詳ですが、江戸時代以降からは主祭神として推古天皇が祀られています。

古代の裁判・盟神探湯は煮えたぎった熱湯の中に手を入れ、やけどをしなければ無罪というものであったようです。

現在もこの盟神探湯を模した神事が行われているようです。
この日はそれほど遠くまでは行きませんでしたが展望台で眺めを楽しんだり、かつて飛鳥時代の中心地だった場所を歩きました。次回に続きます。
よろしければ応援お願いいたします。



軽のちまたと呼ばれかつて市場が開かれていた丈六の交差点を抜け真っ直ぐ歩いて行くと、以前訪れた孝元天皇陵があります。ここはまだ橿原市内です。

池の周りを囲むように桜の木が植わっていたので見頃に訪れたら綺麗な風景が見られると思います。池の周りの歩道には紀皇女が詠んだ和歌も。

更に進むと古宮遺跡があります。カメラマンが夕暮れ時によく訪れるスポットです。すぐ近くには民宿もあります。

古宮遺跡は小墾田宮ではないかと推定されてきた地ですが、昭和45年の発掘調査で推古天皇時代の庭園跡であることが判明しています。

すぐ近くの住宅地には豊浦寺跡があります。603年に推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に都を遷した後建立したとされるお寺です。

すぐ隣にある難波池には説話があり、かつて疫病が流行った際に災害は仏教崇拝によるものだと物部氏が仏像を難波池に投げ込んだと伝えられています。


このすぐ近くには甘樫坐神社が鎮座しています。古代の裁判・盟神探湯(くがたち)が行われてきた場所です。
神社の創建年は不詳ですが、江戸時代以降からは主祭神として推古天皇が祀られています。

古代の裁判・盟神探湯は煮えたぎった熱湯の中に手を入れ、やけどをしなければ無罪というものであったようです。

現在もこの盟神探湯を模した神事が行われているようです。
この日はそれほど遠くまでは行きませんでしたが展望台で眺めを楽しんだり、かつて飛鳥時代の中心地だった場所を歩きました。次回に続きます。
よろしければ応援お願いいたします。


