前回の続きでポーランドに旅行した時のことを備忘録として綴っていきます。
長時間のフライトで身体が相当疲れていましたが、まだ14時過ぎ(日本は21時)だったので少し散歩することに。

ワルシャワゲットー跡地にあるユダヤ人博物館へ行きました。
ゲットーとはナチス支配下にユダヤ人が強制的に住まされていた区画のことで、高い壁に囲まれ外に出ることは許されていませんでした。

長時間のフライトで身体が相当疲れていましたが、まだ14時過ぎ(日本は21時)だったので少し散歩することに。

ワルシャワゲットー跡地にあるユダヤ人博物館へ行きました。
ゲットーとはナチス支配下にユダヤ人が強制的に住まされていた区画のことで、高い壁に囲まれ外に出ることは許されていませんでした。

ゲットー内ではナチスによる暴力や殺戮が日常的に行われていて、衛星環境も悪く伝染病が蔓延する劣悪な環境だったようです。
やがてナチスによって区画内のユダヤ人強制移送命令が出され、区画で暮らしていたユダヤ人はトレブリンカ絶滅収容所に貨物列車で移送されていきました。
そんな中でワルシャワ蜂起が起こり、ナチス相手にポーランド国民が徹底抗戦しましたが期待していたソビエトからの助けもなく、なすすべもなく敗戦し街は壊滅的に破壊されたようです。

博物館は予約なしで当日券購入で入場できました。日本語のオーディオガイドも貸してもらいました。

古くからのユダヤ人の歴史が紹介されています。
街を歩いていてもインフラが整っていないと感じることがあり、敗戦や支配の歴史から完全には復興できていない印象を受けました。
充実した展示を見終わるのに3時間近くかかり、この日はホテルに戻って早めに休むことにしました。機内食を食べすぎたことと、重い歴史を目の当たりにしたことで胃もたれがして晩御飯は近所のスーパーで買って買った軽めのものを食べました。
次回以降はクラクフ旅行の話で明るめの話が続きますので、引き続きお読みいただけたら嬉しいです。
よろしければ応援お願いいたします🙇♀️



やがてナチスによって区画内のユダヤ人強制移送命令が出され、区画で暮らしていたユダヤ人はトレブリンカ絶滅収容所に貨物列車で移送されていきました。
そんな中でワルシャワ蜂起が起こり、ナチス相手にポーランド国民が徹底抗戦しましたが期待していたソビエトからの助けもなく、なすすべもなく敗戦し街は壊滅的に破壊されたようです。

博物館は予約なしで当日券購入で入場できました。日本語のオーディオガイドも貸してもらいました。

古くからのユダヤ人の歴史が紹介されています。
街を歩いていてもインフラが整っていないと感じることがあり、敗戦や支配の歴史から完全には復興できていない印象を受けました。
充実した展示を見終わるのに3時間近くかかり、この日はホテルに戻って早めに休むことにしました。機内食を食べすぎたことと、重い歴史を目の当たりにしたことで胃もたれがして晩御飯は近所のスーパーで買って買った軽めのものを食べました。
次回以降はクラクフ旅行の話で明るめの話が続きますので、引き続きお読みいただけたら嬉しいです。
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