今回がポーランド旅行編最終回になります。旅行最終日もあまり体調が良くなかったので無理はせずワルシャワ市内を2~3時間だけ散策することにしました。夕方にはワルシャワ中央駅からフレデリック・ショパン国際空港へ移動する予定になっていたので遅くとも14時頃にはホテルに戻る予定でした。
前日休館日だったショパンミュージアムに行くというのもありでしたが、クラシック音楽にあまり興味がなかったのでやめておくことに。
歴史に興味があったのでワルシャワ蜂起博物館に行くことも考えましたが、週末なので混雑していると思いやめておきました。
結局そこまで混雑していなさそうな場所を巡ったり、地元のスーパーマーケットで買い物して帰ることにしました。
まず訪れたのは宿泊していたホテルにほど近い場所にあるゲットー跡地でした。ゲットーとはユダヤ人迫害を行っていたナチスが強制的にユダヤ人を狭い区画に移住させ、自由を制限していた場所です。ゲットーは高い壁に囲まれ自由に壁の外に出ることも許されない状況でした。
その壁が一部残されている地域があります。Googleマップで調べるとすぐに出てきました。

本当にここで合っているのか不安になりましたが、マップのレビューに投稿された写真を見ると確かにここでした。
ゲットーの壁というのはこれのことでしょうか。

現在は誰も住んでいないようですが、廃墟のような雰囲気が漂っていました。狭い区画に多くのユダヤ人が暮らしていたゲットーの衛生環境はあまり良くなく、疫病でなくなる人も多かったようです。

ゲットー跡地を出て、ゲットーの境界線が残るエリアに移動しました。
途中、地元の市場に通りかかりました。

変わったアウトフィットの教会。

この建物は映画館でした。

警備員に囲まれたこの建物は宮殿のようです。

歩いているうちにゲットーの境界線がある場所に辿り着きました。初日に訪れたユダヤ人博物館の近くです。



この境界線が残る部分がゲットーの壁があった場所のようです。この地域では壁は残されていませんでした。
さらに進むと、「集荷場」に辿り着きました。集荷という言葉は本来人間に対して使う言葉ではありませんが、ここではユダヤ人に対して使われています。ナチスによって人間以下の扱いを受けていたことがよく分かります。

集荷場とはワルシャワゲットーに居住していたユダヤ人たちが強制絶滅収容所に貨物列車で送られる前に集合させられた場所です。
1942年から1943年にかけてワルシャワゲットーからナチス管理の強制絶滅収容所のガス室へ30万人を超えるユダヤ人が移送されたと書かれています。

貨物列車にすし詰め状態で載せられ、何日も飲まず食わずの状態で到着時には亡くなっている人もいたようです。
当時集荷場に集合させられた人々の写真が残されていました。

ここからユダヤ人博物館脇の道を通りスーパーマーケットに向かいました。スーパーマーケットではポーランド名物のジュレックというスープのインスタント粉末やお菓子などを買いました。

ポーランドのカラスはグレーがかった羽色をしていて日本のカラスとは風貌が異なっていました。写真は撮りませんでしたが鳩も見かけました。鳩は日本で見かけるような鳩でした。

ワルシャワ市内を歩いているとナチスや第二次世界大戦による被害者を弔う碑などがいたるところにありました。

敗戦や支配、迫害を乗り越えて今のポーランド社会があるのだなと感じました。ユダヤ人博物館でユダヤ人のポーランド社会との関りや迫害の歴史を学び、実際に迫害されていた痕跡の残る場所を訪ねましたが本来ならポーランドを訪れるならアウシュビッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所にも行くべきだったと思います。
ですが今回の旅行は当時の色々煮詰まった辛い状況からの逃避旅行のような感じだったので、アウシュビッツに行くメンタル状況ではありませんでした。
写真は最後にワルシャワで食べたマクドナルドの朝マック。ポテトではなくサラダにしましたが、日本のサラダより遥かに量が多くヘルシーな感じがしました。マフィンの味も日本より美味しく感じました。
日本との違いはメニューにラップサンドなどがあったことです。

ホテルで荷造りと休憩をしてから空港に向かう鉄道に乗るためワルシャワ中央駅へ。
不慣れな券売機でチケットを買おうとしましたが、何回やっても英語画面が突然ポーランド語に変わるというエラーが出て焦りました。
駅にあった煙草屋の店員さんに相談すると、壊れていない機械の場所を教えてくれました。そこで無事にチケットを購入でき一安心したのもつかの間、どのホームのどの列車に乗るか分からず困っていたら空港に向かう旅行者らしき女性がいて、親切に教えてもらいました。
無事に空港に到着し、長いフライト時間を耐えて帰国しました。
行きも帰りもイスタンブールから関空に向かう機内ではろくに寝れなかったので、映画ばかり見ていました。気楽に見れるディズニー映画ばかり行き帰りで6作品ほど。ディズニーではありませんがFLOWというノルウェーのアニメーション映画が一番印象的でした。
ポーランド旅行は初めてのヨーロッパ旅行となりましたが、他のヨーロッパ諸国にまた行きたいかというと微妙なところです。帰国後もしばらく体調不良が続きましたし(夜帰国して翌日朝からすぐ仕事だった)、長時間フライトのダメージと時差ボケによる不眠もあったので帰国後もしばらく体調不良が続きました。
それでもポーランドは素敵な国でした。ユダヤ人関連の史跡ばかり巡っていたせいか、どことなく影のあるイメージでしたが一見無愛想に見える人でも話しかけるととても親切だったり、アジア人だからといって差別的な行動をとられることもありませんでした。(ポーランド人からは)
振り返ってみてもポーランドを旅して良かったなと思っています。
これが最初で最後のヨーロッパ旅行になるかもしれませんし、気が変わったらまたどこか行くかもしれません。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。
よろしければ応援お願いいたします。



前日休館日だったショパンミュージアムに行くというのもありでしたが、クラシック音楽にあまり興味がなかったのでやめておくことに。
歴史に興味があったのでワルシャワ蜂起博物館に行くことも考えましたが、週末なので混雑していると思いやめておきました。
結局そこまで混雑していなさそうな場所を巡ったり、地元のスーパーマーケットで買い物して帰ることにしました。
まず訪れたのは宿泊していたホテルにほど近い場所にあるゲットー跡地でした。ゲットーとはユダヤ人迫害を行っていたナチスが強制的にユダヤ人を狭い区画に移住させ、自由を制限していた場所です。ゲットーは高い壁に囲まれ自由に壁の外に出ることも許されない状況でした。
その壁が一部残されている地域があります。Googleマップで調べるとすぐに出てきました。

本当にここで合っているのか不安になりましたが、マップのレビューに投稿された写真を見ると確かにここでした。
ゲットーの壁というのはこれのことでしょうか。

現在は誰も住んでいないようですが、廃墟のような雰囲気が漂っていました。狭い区画に多くのユダヤ人が暮らしていたゲットーの衛生環境はあまり良くなく、疫病でなくなる人も多かったようです。

ゲットー跡地を出て、ゲットーの境界線が残るエリアに移動しました。
途中、地元の市場に通りかかりました。

変わったアウトフィットの教会。

この建物は映画館でした。

警備員に囲まれたこの建物は宮殿のようです。

歩いているうちにゲットーの境界線がある場所に辿り着きました。初日に訪れたユダヤ人博物館の近くです。



この境界線が残る部分がゲットーの壁があった場所のようです。この地域では壁は残されていませんでした。
さらに進むと、「集荷場」に辿り着きました。集荷という言葉は本来人間に対して使う言葉ではありませんが、ここではユダヤ人に対して使われています。ナチスによって人間以下の扱いを受けていたことがよく分かります。

集荷場とはワルシャワゲットーに居住していたユダヤ人たちが強制絶滅収容所に貨物列車で送られる前に集合させられた場所です。
1942年から1943年にかけてワルシャワゲットーからナチス管理の強制絶滅収容所のガス室へ30万人を超えるユダヤ人が移送されたと書かれています。

貨物列車にすし詰め状態で載せられ、何日も飲まず食わずの状態で到着時には亡くなっている人もいたようです。
当時集荷場に集合させられた人々の写真が残されていました。

ここからユダヤ人博物館脇の道を通りスーパーマーケットに向かいました。スーパーマーケットではポーランド名物のジュレックというスープのインスタント粉末やお菓子などを買いました。

ポーランドのカラスはグレーがかった羽色をしていて日本のカラスとは風貌が異なっていました。写真は撮りませんでしたが鳩も見かけました。鳩は日本で見かけるような鳩でした。

ワルシャワ市内を歩いているとナチスや第二次世界大戦による被害者を弔う碑などがいたるところにありました。

敗戦や支配、迫害を乗り越えて今のポーランド社会があるのだなと感じました。ユダヤ人博物館でユダヤ人のポーランド社会との関りや迫害の歴史を学び、実際に迫害されていた痕跡の残る場所を訪ねましたが本来ならポーランドを訪れるならアウシュビッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所にも行くべきだったと思います。
ですが今回の旅行は当時の色々煮詰まった辛い状況からの逃避旅行のような感じだったので、アウシュビッツに行くメンタル状況ではありませんでした。
写真は最後にワルシャワで食べたマクドナルドの朝マック。ポテトではなくサラダにしましたが、日本のサラダより遥かに量が多くヘルシーな感じがしました。マフィンの味も日本より美味しく感じました。
日本との違いはメニューにラップサンドなどがあったことです。

ホテルで荷造りと休憩をしてから空港に向かう鉄道に乗るためワルシャワ中央駅へ。
不慣れな券売機でチケットを買おうとしましたが、何回やっても英語画面が突然ポーランド語に変わるというエラーが出て焦りました。
駅にあった煙草屋の店員さんに相談すると、壊れていない機械の場所を教えてくれました。そこで無事にチケットを購入でき一安心したのもつかの間、どのホームのどの列車に乗るか分からず困っていたら空港に向かう旅行者らしき女性がいて、親切に教えてもらいました。
無事に空港に到着し、長いフライト時間を耐えて帰国しました。
行きも帰りもイスタンブールから関空に向かう機内ではろくに寝れなかったので、映画ばかり見ていました。気楽に見れるディズニー映画ばかり行き帰りで6作品ほど。ディズニーではありませんがFLOWというノルウェーのアニメーション映画が一番印象的でした。
ポーランド旅行は初めてのヨーロッパ旅行となりましたが、他のヨーロッパ諸国にまた行きたいかというと微妙なところです。帰国後もしばらく体調不良が続きましたし(夜帰国して翌日朝からすぐ仕事だった)、長時間フライトのダメージと時差ボケによる不眠もあったので帰国後もしばらく体調不良が続きました。
それでもポーランドは素敵な国でした。ユダヤ人関連の史跡ばかり巡っていたせいか、どことなく影のあるイメージでしたが一見無愛想に見える人でも話しかけるととても親切だったり、アジア人だからといって差別的な行動をとられることもありませんでした。(ポーランド人からは)
振り返ってみてもポーランドを旅して良かったなと思っています。
これが最初で最後のヨーロッパ旅行になるかもしれませんし、気が変わったらまたどこか行くかもしれません。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。
よろしければ応援お願いいたします。

