松阪市は医者であり国学者でもあった本居宣長の生誕地であり長年暮らした場所としても知られています。今回は本居宣長記念館と「2つの生家」について紹介します。

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本居宣長記念館は松坂城跡の一角(松阪神社や城跡と同じエリア)にあり、入場料は大人400円でした。

本居宣長(1730–1801)は国学者として『古事記伝』を著し、日本の古典・ことば・精神を徹底的に掘り下げた人物です。

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記念館は撮影禁止の場所が大半でしたので写真はほとんどありませんが、

宣長の自筆原稿、書簡、愛用の机・硯・書物
『古事記伝』や和歌、医学・漢学の勉強ぶりがわかる資料
当時の松阪の町や、宣長が生きた時代背景の展示
などが鑑賞できます。

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宣長が日中は医者としてあちこちの家を回り、夜間は国学者として休む間もなく活動し様々な書物をのこしたことが展示からも読み取れます。

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鈴が好きでたくさんの鈴を収集していたようです。松阪市のマンホールは鈴のデザインになっていますし、松阪駅前には石で造られた大きな鈴が展示されていました。

「2つの生家」とは何か
本居宣長には、「生まれた家」と「学問と仕事をした家」という、性格の違う2つの家があります。

① 生まれた家(商家としての生家)
松阪の町人・小津家の子として誕生。

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もともとは魚町にある商家の一角が宣長の「生家」で、宣長はここで約50年を過ごしました。
ここで幼少期を過ごし、その後、京都で医学をまなび医者として独立していきました。

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宣長が大切にしていた松の木。

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魚町の生家跡には宣長の息子が暮らしていた家と蔵や井戸がのこされていました。

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この「生家」は後に鈴屋と呼ばれる松坂城跡の一角に移築されたため、二カ所の生家と呼ばれる場所が存在します。

② 医業と学問の家「鈴屋」(すずのや)

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ここが“本居宣長の家”として今に残る建物で
宣長が 医者として開業し、学問に没頭し、『古事記伝』を書き続けた家です。

医者としての診療所
学問の場(書斎「三階の間」)
弟子たちが集まる学問サロン
家族の生活の場
であったようです。

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🏯 なぜ「鈴屋」は移築されたのか

■火災から守るため
当時の魚町は商家が密集し、火事が多かった地域。
宣長の旧宅は木造で、一度火が出れば跡形もなく失われる危険があったそうです。

■ 市民有志が「絶対に残すべき」と立ち上がった
1909年(明治42年)、宣長を敬愛する市民たちが保存運動を起こし、
松坂城跡の一角へ移築することを決定。

城跡は広く火災の危険が少ないことや歴史公園として整備しやすいこと、
記念館と並べて展示できるなどの理由から宣長の旧宅は「鈴屋」として今に残されました。

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移築後、隣接地に 本居宣長記念館が建てられ、
「鈴屋」と「記念館」が一体となって宣長の功績を伝える場になりました。






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