はじめに 古墳についての豆知識
古墳は1基・2基と数える
古墳=権力者たちの墓であったとされる
古墳の大きさは埋葬された人物の身分の高さや権力の大きさに比例
3世紀半ばから7世紀末まで古墳が全国各地に作られた
日本最大規模を誇る古墳は大阪・堺市にある仁徳天皇陵
前方後円墳は台形部分が前方にあたる
大阪府・堺市には全部で44基の古墳がありますが、
第1回目は堺区北三国ヶ丘町にある反正天皇陵古墳をご紹介します。
田出井山古墳とも呼ばれています。
方違神社という方位除けの神様を祀っている神社のすぐ裏手にある反正天皇陵古墳は、
古墳時代5世紀半ばに作られました。
この古墳は前方が台形、後方が円形の前方後円墳の形をしています。
全長は148m、後円部径が76m・高さ13m、前方部幅110m・高さ14.8mの規模の古墳です。
百舌鳥古墳群の中では7番目に大きく、北端に位置しています。
古墳の向きは大阪湾の海岸線に沿って作られており、
古墳から海を眺めることができるように築かれたと言われています。
当時から海外との交易があったということかもしれません。
墳丘は3段重ねの構造になっており、西側部分に造り出しと呼ばれる
祭祀の場であったと考えられる部分があります。
周辺には鈴山古墳と天皇古墳と呼ばれる小さな古墳があります。
この2つの古墳は民家の隣にあり、
古墳と言われないと分からないほど規模が小さく築山のように見えます。
出土品:円筒埴輪、形象埴輪、勾玉、須恵器
埋葬者:第18代・反正天皇
反正天皇陵古墳を訪れてみて
住宅街の中に堀に囲まれた大きな古墳があるのが不思議でした。
辺りの風景やそこに住む人々が変化しても古墳だけはずっと変わらずそこに在り続け、
移り変わる世の中を見守ってきたのだろうと歴史に思いをはせました。
百舌鳥古墳群の中で7番目の大きさと言うだけあって近くで見ると迫力があり、
全貌を見ることはできませんでした。
隣接する方違神社の境内からは反正天皇陵古墳の後方部(円形の部分)を見ることができました。
JR阪和線・堺市駅または南海本線・堺東駅から徒歩で行くことができますので、
方違神社とあわせて訪ねてみることをおすすめします。
今回訪れた3つの古墳は無人でした。
自転車でまわるので運動不足解消にもなりそうです。
それぞれの古墳の特色や歴史を知るのも勉強になりますし
新たな発見もあって面白いです。
次はどんな古墳に出会えるか楽しみです!
コメント