古墳についての豆知識

古墳は1基・2基と数える

古墳=権力者たちの墓

古墳の大きさは埋葬された人物の身分の高さや権力の大きさに比例

3世紀半ばから7世紀末まで古墳が全国各地に作られた

前方後円墳は台形部分が前方

 

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日本最大級の規模を誇る古墳・仁徳天皇陵

大阪府・堺市にある全44基の古墳の中から、今回は5世紀半ばに作られたと言われている仁徳天皇陵をご紹介します。

堺市堺区大仙町にある仁徳天皇陵は、日本一の大きさの前方後円墳でその全長は486mにも及びます。周囲には三重の堀が張り巡らされており、現在は仁徳天皇の陵墓として宮内庁によって管理されています。



出土品:銅鏡、刀剣、甲冑、ガラス製の壺や皿など

埋葬者:倭の五王の一人では?と言われていますが正式には判明していません


仁徳天皇陵を作るのあたって、一日最大2千人が働いて15年8か月かかったとされています。(建設会社・大林組の試算より)

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堺市立博物館にある模型です。世界三大墳墓であるピラミッド・秦の始皇帝陵・仁徳天皇陵の大きさを比較したものですが、 ピラミッドや始皇帝陵と肩を並べる程の規模であることが分かります。

仁徳天皇陵の地図


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倍塚の一つとされる竜佐山古墳

周囲には10基以上の倍塚が点在

大きな古墳の近くに作られた小さな古墳のことを倍塚と言いますが、仁徳天皇陵付近には10を超える倍塚が存在します。仁徳天皇陵に隣接する大仙公園内にも倍塚が見受けられます。

竜佐山古墳はその一つで、5世紀末に作られた帆立貝式の古墳です。仁徳天皇陵に埋葬された人物の近親者や従者が埋葬されていると言われています。内部からは埴輪や葺石が出土されました。葺石とは、古墳の表面を覆っていた石のことで、古墳をキラキラと見せる効果がありました。

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仁徳天皇陵のことをもっと知るなら堺市博物館がおすすめ


大仙公園内にある堺市博物館には、仁徳天皇陵で発掘された石室や石棺の絵図や発掘品など様々な資料が展示されています。

ドローンで空撮した映像で360度のVR(バーチャルリアリティー)体験ができるコーナーがあります。ヘッドマウントディスプレイを装着すると、地上300mまで上昇して仁徳天皇陵の全貌を把握できたり、約1600年前にタイムスリップして築造当時の姿を見ることもできます。

200インチの大画面で、約10分の古墳に関する映像を楽しむことのできる百舌鳥古墳群シアターもあります。

 

堺市博物館情報
所在地:堺市堺区百舌鳥夕雲町2大仙公園内

JR阪和線百舌鳥駅から徒歩10分程度

開館時間:9:00-17:15(最終入館は16:30)、月曜休館

入館料は一般200円、VR体験1回約6分間で800円

 


無料で百舌鳥古墳群の全体像を見ることができる場所

堺市役所21F展望ロビーへ行ってみよう

南海本線堺東駅から徒歩5分の距離にある堺市役所21F展望ロビー(堺市堺区南瓦町3-1)からは古墳群を一望できます。あべのハルカスや六甲山も見ることができます。

土日も開いていますしカフェがあるのでここで一休みするのも良いと思います。

少し離れているので、歩いて行くよりも仁徳天皇陵と大仙公園のちょうど間にあるレンタサイクルショップで自転車を借りて行くのがおすすめです。

 


堺市役所21F展望ロビーの地図





仁徳天皇陵は倭の五王のお墓という説もあります。古墳時代、これだけ大規模な墓を築造できる権力や支配力を持っていた人物は大王級の人物であったのではないかと考えられています。

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古墳の大きさが身分の高さや権力の大きさにつながるとされ、大規模な古墳ほど権力者が眠っているという説があります。

大規模な古墳が大阪・奈良を中心とした関西圏に集中していることからも、日本各地の王を束ねていた王=倭の五王の中の一人の墓があったのではと推測されているようです。

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倭の五王について(歴memo 歴史のまとめから引用)
5世紀、当時の日本の大和王権は中国南朝の「宋」と外交関係を持ち、倭国王に冊封された。当時の中国の歴史書「宋書」倭国伝には、讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)といわれる五人の倭王(倭の五王)が、約1世紀の間に使者を派遣した事が記されている。これらの王を、日本側の史料である「古事記」による天皇と照らし合わせると、讃=仁徳or履中、珍=反正、済=允恭、興=安康、武=雄略の各天皇ではないかと推測される。最初の二人、讃と珍は事実であるか疑わしい推測なのだが、済・興・武の三人に関しては、現在、確実視されている。最後の武の雄略天皇が、敵対する有力豪族たちを滅ぼし、天皇の権力を強化させてた。そして、武を最後に、宋への遣使は派遣されていない。

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堺市内にある古墳の墳丘が海岸線に沿って築かれていることや、堺港を拠点に各国との交易が行われていた記録が残されていることからも、仁徳天皇陵や履中天皇陵、反正天皇陵が大王の墓であった可能性は高いと思います。

どんな人物が埋葬されているか推測しながら古墳を見に行くとまた新たな楽しみ方ができそうです。


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