古墳は1基・2基と数える
古墳=権力者たちの墓
古墳の大きさは埋葬された人物の身分の高さや権力の大きさに比例
3世紀半ばから7世紀末まで古墳が全国各地に作られた
前方後円墳は台形部分が前方にあたる
倍塚とは大型の古墳近辺に造営された小規模の古墳のこと
狐山古墳は小規模の円墳 仁徳天皇陵と関連性も
狐山古墳は堺市中央図書館のすぐ近く(大仙公園の敷地内)にある5世紀後半に造営された円墳です。
墳丘30m、墳丘の高さ5mの規模をしています。
発掘調査により、周囲には幅5m程のお濠が巡っていたことがわかっています。
仁徳天皇陵よりはやや遅くに造営されていますが、仁徳天皇陵の南西部にあることからその倍塚ではないかと言われ宮内庁により管理されています。
出土品:須恵器、葺石、円筒埴輪
所在地:堺市堺区大仙中町
最寄り駅:JR阪和線百舌鳥駅または三国ヶ丘駅から徒歩圏内
狐山古墳の名前の由来?『堺おもしろ話 其の壱』から引用
大仙陵古墳の墓守が、猟師の流れ弾に当たった狐を助けた。ある日、墓守が墓を掘り返していた泥棒と取っ組み合いになり、濠へ投げ込まれてしまった。水の中で死にそうになった墓守を何者かが陸へ引き上げてくれた。明くる朝、濠の中を見てみると一匹の小さなキツネが死んでいた。墓守は受けた恩を忘れなかったキツネをねんごろに葬った。
あくまで言い伝えなので真実かどうかは分かりませんが、古墳にも「狐」という名前がついていることから実際に起きた出来事の可能性もあります。
古墳時代には2種類の土器が使用されていた
古墳時代の土器には土師器と須恵器の2種類があります。
土師器は素焼きで茶褐色の器で須恵器と比べるとやや軟質です。
主に食器に用いられました。須恵器は古墳時代中頃に朝鮮半島から制作技術が伝えられました。
窯を用いて焼かれ、青灰色で硬質なのが特徴です。須恵器は主に貯蔵に利用されました。
土師器(左)と須恵器(右)
狐山古墳近くに約57万5千冊の蔵書を誇る堺市中央図書館
狐山古墳は大仙公園と堺市中央図書館をつなぐ狸小路と呼ばれる道沿いにありますが、この図書館には豊富な蔵書があります。
一般的な図書の他に、戦前からの資料が蓄積された書庫や郷土資料が充実しています。
堺のことを調べるにはもってこいの場所です。子供向けの図書を集めた子供図書館もあります。
所在地:堺市堺区大仙中町18-1
営業時間:火曜日~金曜日10:00~20:00(土日祝は10:00~18:00)
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