堺市には大小さまざまな古墳が存在しますが、以前紹介した仁徳天皇陵は全長486mという日本一の規模を誇ります。

古墳時代、これだけ大規模な墓を築造できる権力や支配力を持っていた人物は大王級の人物であったのではないかと考えられています。
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古墳の大きさが身分の高さや権力の大きさにつながるとされ、大規模な古墳ほど権力者が眠っているという説があります。

大規模な古墳が大阪・奈良を中心とした関西圏に集中していることからも、日本各地の王を束ねていた王=倭の五王の中の一人の墓があったのではと推測されているようです。
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倭の五王について(歴memo 歴史のまとめから引用)
5世紀、当時の日本の大和王権は中国南朝の「宋」と外交関係を持ち、倭国王に冊封された。当時の中国の歴史書「宋書」倭国伝には、(さん)、(ちん)、(せい)、(こう)、(ぶ)といわれる五人の倭王(倭の五王)が、約1世紀の間に使者を派遣した事が記されている。これらの王を、日本側の史料である「古事記」による天皇と照らし合わせると、讃=仁徳or履中、珍=反正、済=允恭、興=安康、武=雄略の各天皇ではないかと推測される。最初の二人、讃と珍は事実であるか疑わしい推測なのだが、済・興・武の三人に関しては、現在、確実視されている。最後の武の雄略天皇が、敵対する有力豪族たちを滅ぼし、天皇の権力を強化させてた。そして、武を最後に、宋への遣使は派遣されていない。
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堺市内にある古墳の墳丘が海岸線に沿って築かれていることや、堺港を拠点に各国との交易が行われていた記録が残されていることからも、仁徳天皇陵や履中天皇陵、反正天皇陵が大王の墓であった可能性は高いと思います。

どんな人物が埋葬されているか推測しながら古墳を見に行くとまた新たな楽しみ方ができそうです。

熱中症にはくれぐれもお気を付けください。