前回は都塚古墳の紹介をしましたが、石舞台古墳前でバスに乗って駅まで戻る途中にもう一か所だけ古墳に立ち寄りました。

明日香村に来たら必ず立ち寄る場所でこれまでに10回以上訪れたことがある大好きな古墳『高松塚古墳』です。

1962年頃、明日香村檜前に住む村人がショウガを貯蔵しようと直径約60cmの穴を現在の墳丘南側に掘ったところ、穴の奥で擬灰岩の四角い切石が見つかったことが発端となり発掘調査が進められるようになりました。

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高松塚古墳は飛鳥歴史公園内にある小さな円墳です。

1972年に石室内に極彩色の壁画が見つかりました。朱雀・玄武・白虎・青龍から成る四神や、男女群像、星宿図などが描かれています。

隣接する高松塚壁画館にはその復元図が展示されています。

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入館料は2019年から大人300円になりました。飛鳥王国パスポートを持っていれば少し値引きが受けられます。飛鳥王国パスポートの詳細はこちら。


2022年に訪れた時、壁画のSNS利用が許可されていましたのでこちらに掲載します。

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朱雀はありません。盗掘穴の部分にあったため破壊されてしまったと考えられ、残念でなりません。

石室内から13世紀前半に用いられた油を入れて使う灯明皿が発見されたことにより、盗掘が鎌倉時代に行われたことが判明しています。

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飛鳥美人と呼ばれる西壁の女子群像

こちらの東壁女子群像をよく見ると何か道具を携えている人がいるのが分かります。
丸いうちわのようなものは円えいと言うそうです。
この図では分かりにくいですが、払子(ほっす)という道具を携えた女性もいます。この道具は高貴な人物や従者が所持していたようです。

右から二人目の女性が持っている棒は西遊記にも出てくる如意棒と呼ばれる道具です。孫の手のように使用したようです。

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高松塚古墳とキトラ古墳の違い

同じく明日香村内で発見されたキトラ古墳からも同様の壁画が見つかりましたが、全く同じものではなく四神の描かれている方角や星宿図の精細度などが微妙に異なっているようです。

他にもキトラ古墳には朱雀が残っていたこと(高松塚古墳壁画の朱雀は盗掘穴位置にあったため破壊されていた)、白虎が北向き、人物像が無く、獣頭人身の十二支像が描かれていること、星宿図ではなく天文図として内規・外規・黄道・天の赤道などが描かれていることが2つの古墳壁画の違いとなります。 

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高松塚古墳は密閉されているため内部に入ることはできません。埋葬されているのは7~8世紀の皇子だと推測されています。

四神の壁画からも分かるように、この古墳は古代中国の影響を受けたもののようです。
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高松塚古墳の出土品

石室内部からは様々な被葬品が見つかっています。

副葬品の1つである海獣葡萄鏡は698年に死去した中国・唐の官僚の墓の出土品と全く同じ文様と大きさで、7世紀末に唐で作られたことが判明しています。当時の遣唐使は704年に日本に帰国しており、鏡はこの時に入手したと考えられています。

盗掘を受けたため発見された副葬品は多くありませんが、他にも銀製刀装具や玉類、棺に使われていた金具類、銅釘が見つかっています。

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明日香村と言えば四神と言うぐらい、土産物屋にも四神がモチーフとなったお菓子や文具などが売られています。村内の橋にも四神が描かれていました。

古代中国や星宿図の名前にちなんだ戦士が登場する「ふしぎ遊戯(朱雀・青龍編)」という漫画がありますが、劇中で主人公が修学旅行でこの高松塚壁画館を訪れる場面が出てきます。



高松塚古墳にカビが生えたのはなぜか?

平成12年頃には温度の上昇や水分上昇などのカビが繁殖する条件が整っていたようです。 そんな中で石室取り合部に発生したカビを契機として、温度上昇や水分・栄養分の供給などが重なり合って、平成13年にはカビが大量発生する事態となりました。平成14年にも複数のカビが発生し、壁面に黒色の染みが残ってしまったようです。

のちに飛鳥歴史公園内に修理施設が完成し石室はいったん解体・搬出した後、この修理施設へ移され、令和元年度まで修復が行われていました。修復された壁画は、引き続き文化庁による保存管理が行われており、年に数回一般公開されています。(事前予約申し込み制)

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明日香村は朝鮮半島から来た渡来人の集落跡や彼らが稲作を伝えた痕跡も残っていますし、東アジアの影響を強く受けた地域だということが分かります。





高松塚古墳の地図




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