今日は堺市堺区にある「船待神社」を紹介します。
船待神社の由緒は延喜元年まで遡ります。
菅原道真公が太宰府へ下る途中、この地に辿り着いたことが始まりです。
道真公は船を待つ間、この地に祀られていた自身の遠い先祖である天穂日命(天照大御神の子供)の祠に参拝し、松の樹を植えて出発しました。
その後、道真公が合祀され現在に至ります。
ご祭神:天穂日命(アメノホヒノミコト)、菅原道真公
所在地:大阪府堺市堺区西湊町1丁2−18
最寄り駅:阪堺線 御陵前駅 (徒歩5分程)
神社は紀州街道沿いにあり、真っ白な鳥居が目印です。
入って右手には、道真公が腰かけたと言われる椅子があります。
本殿で願掛けをしてからこの椅子に座ってもう一度願掛けをすると、願い事が叶うと言い伝えられているそうです。
手水舎の龍は厳重に保護されていました。
大きな絵馬。
縁起物と一緒に今年の干支が描かれています。
少彦名神を祀る摂社。
コロナの終息を祈願しに訪れる人も多いのではないでしょうか。
稲荷社。時代を感じさせる鳥居。
その他にも様々な摂社が祀られていました。
後ろに見える出入口からも出入りできます。
神仏習合の名残なのか、不動明王と水掛不動明王が祀られていました。
不動明王は日本では敵や疫病を退散してくれる仏様として扱われています。
この日は小雨が降っていて周りには誰もいなかったんですが、なぜか人の気配を感じました。
社務所はこの日は閉まっていましたが、開いている時は御朱印ももらえるようです。
境内や付近には専用駐車場はありませんでした。
菅原道真公の足跡を辿りたい方は一度訪れてみるのも良いのではないでしょうか。
-後日譚-
数か月後、晴れの日に船待神社を再訪しました。
白い鳥居が青空によく映えていました。
菅原道真公が船を待つ間に腰かけた椅子にも座ってみました。
まず本殿で祈願してから座るという順序があるようです。
船待神社の由緒は延喜元年まで遡ります。
菅原道真公が太宰府へ下る途中、この地に辿り着いたことが始まりです。
道真公は船を待つ間、この地に祀られていた自身の遠い先祖である天穂日命(天照大御神の子供)の祠に参拝し、松の樹を植えて出発しました。
その後、道真公が合祀され現在に至ります。
ご祭神:天穂日命(アメノホヒノミコト)、菅原道真公
所在地:大阪府堺市堺区西湊町1丁2−18
最寄り駅:阪堺線 御陵前駅 (徒歩5分程)
神社は紀州街道沿いにあり、真っ白な鳥居が目印です。
入って右手には、道真公が腰かけたと言われる椅子があります。
本殿で願掛けをしてからこの椅子に座ってもう一度願掛けをすると、願い事が叶うと言い伝えられているそうです。
手水舎の龍は厳重に保護されていました。
大きな絵馬。
縁起物と一緒に今年の干支が描かれています。
少彦名神を祀る摂社。
コロナの終息を祈願しに訪れる人も多いのではないでしょうか。
稲荷社。時代を感じさせる鳥居。
その他にも様々な摂社が祀られていました。
後ろに見える出入口からも出入りできます。
神仏習合の名残なのか、不動明王と水掛不動明王が祀られていました。
不動明王は日本では敵や疫病を退散してくれる仏様として扱われています。
この日は小雨が降っていて周りには誰もいなかったんですが、なぜか人の気配を感じました。
社務所はこの日は閉まっていましたが、開いている時は御朱印ももらえるようです。
境内や付近には専用駐車場はありませんでした。
菅原道真公の足跡を辿りたい方は一度訪れてみるのも良いのではないでしょうか。
-後日譚-
数か月後、晴れの日に船待神社を再訪しました。
白い鳥居が青空によく映えていました。
菅原道真公が船を待つ間に腰かけた椅子にも座ってみました。
まず本殿で祈願してから座るという順序があるようです。
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