田坐神社は、先日自転車で訪れた布忍神社から1.5キロ程のところにあります。

この辺りは『田井城』という地名で、松原市の中でも
図書館や文化会館などの公共施設が集まっている地域のようです。

江戸時代、荘園があった地域で当時は『田井荘』と呼ばれていました。

田井城という地名はその名残なのかもしれません。

ちなみに今回訪れた田坐神社は「田んぼの中にある神社」という意味で名付けられたようです。



田井城は古代~中世に制定された条里制による正方形の区画が今でも残る土地

田井城には古代から中世にかけて制定された
律令制の土地区画・条里制の名残が今でも残っており、
周辺の田畑や道路、溜池の一辺が約650mの正方形になっているものが見られます。

これは条里制の一里の一辺とほぼ等しいです。
上空から見たらよく分かるのかもしれません。

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田坐神社は平安時代に編纂された法令集『延喜式』に名前が載っている

平安時代(927年)、左大臣・藤原忠平が醍醐天皇の命を受けて編纂した
『延喜式』という法令集に田坐神社の名前が出てきます。

境内の看板には
「862年に従五位下を授けられ、官社に列した古社」
と書かれています。

全く意味が分からなかったので調べてみました。

Wikipediaによると、
「従五位 (じゅごい)とは、日本の 位階 及び 神階 における位のひとつ。
正五位 の下、 正六位 の上に位する。」

江戸時代以前の階級制度のようですが、
従五位というのは当時の貴族階級であったようです。

それだけ格式の高い神社ということですね。

境内には拝殿が一つと、手水舎があるのみでした。

住宅地に囲まれた静かで厳かな雰囲気の神社です。

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田坐神社には呉織や漢織の織女が祀られている!?
江戸時代、田井城では養蚕業が盛んだった


田坐神社のご祭神は不明ですが、八幡大神や依羅宿禰、
呉織・漢織の織女が祀られているのではないかと推測されています。

江戸時代に書かれた文書の中には当時この辺りで養蚕が行われていたことや、
「識女」と呼ばれる機織りの女性がこの地にやってきて
絹糸が生産されていた記録が残っています。

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拝殿付近の狛犬。

目がギョロっとしているので少し怖そうな印象を受けます。

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境内には授与所もなく宮司さんもいないので、祈祷の受付や御朱印の授与などは
松原市内にある柴籬神社で行われているそうです。

柴籬神社は松原六社巡りの一社にあたる神社で、いずれ訪れてみたいと考えています。


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-田坐神社アクセス情報-

所在地:大阪府松原市田井城5丁目5
最寄駅:近鉄南大阪線・高見ノ里駅から北へ徒歩15分程度
駐車スペース:なし
授与所:なし (柴籬神社で授与可)

※見通しの悪い一方通行の道が多く、地図で確認しながら行くとスムーズです。