この間リモートワークの休憩時間中に訪れた定の山古墳。(2020年12月初旬)
その近く、西高野街道沿いの住宅街の中にひっそりと佇む古墳がありました。
御廟表塚古墳はかつては前方後円墳(帆立貝型)の形をしていましたが、
現在は前方部分が消失して円墳のように見えます。
墳丘長約85m、後円部径約68m、高さ約8mの規模の古墳で後円部は2段構造になっています。
5世紀後半に築造されたものと見られます。
周囲には濠が巡らされていましたが、後円部を残して埋め立てられています。
濠の名残と思われる箇所がありました。窪みができています。
埋葬施設や埋葬者、副葬品は判明していません。
百舌鳥古墳群からも離れたところにポツンとあるので、大王の墓ではないと思います。
小型の円筒埴輪は発掘されており、墳丘の斜面には葺石が施されていました。
定の山古墳と同じく、御廟表塚古墳も登れる古墳でした。
高さがないので見晴らしは良くないですが、木々に囲まれた落ち着く空間です。
すぐ近くには筒井邸があり屋敷林の中に、樹齢800~1000年の巨大な楠木がありました。
堺市指定保存樹林にも指定されているようです。
圧倒されるような大きさでした。
精霊が宿っていそうな雰囲気があります。
根元には大きな穴が開いており、何かいそうな気がしました。
筒井邸のことはよく分からないのですが、茅葺屋根の家がチラッと見えたのが気になりました。
家ではなくて倉庫なのかもしれません。
あまり知られていない場所かもしれませんが、静かでとても居心地が良い場所でした。
-アクセス情報-
所在地:大阪府堺市北区中百舌鳥町4丁
最寄駅:南海/大阪メトロ中百舌鳥駅または百舌鳥八幡駅から徒歩5分程
周辺スポット:定の山古墳、二サンザイ古墳、百舌鳥八幡宮
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その近く、西高野街道沿いの住宅街の中にひっそりと佇む古墳がありました。
御廟表塚古墳はかつては前方後円墳(帆立貝型)の形をしていましたが、
現在は前方部分が消失して円墳のように見えます。
墳丘長約85m、後円部径約68m、高さ約8mの規模の古墳で後円部は2段構造になっています。
5世紀後半に築造されたものと見られます。
周囲には濠が巡らされていましたが、後円部を残して埋め立てられています。
濠の名残と思われる箇所がありました。窪みができています。
埋葬施設や埋葬者、副葬品は判明していません。
百舌鳥古墳群からも離れたところにポツンとあるので、大王の墓ではないと思います。
小型の円筒埴輪は発掘されており、墳丘の斜面には葺石が施されていました。
定の山古墳と同じく、御廟表塚古墳も登れる古墳でした。
高さがないので見晴らしは良くないですが、木々に囲まれた落ち着く空間です。
すぐ近くには筒井邸があり屋敷林の中に、樹齢800~1000年の巨大な楠木がありました。
堺市指定保存樹林にも指定されているようです。
圧倒されるような大きさでした。
精霊が宿っていそうな雰囲気があります。
根元には大きな穴が開いており、何かいそうな気がしました。
筒井邸のことはよく分からないのですが、茅葺屋根の家がチラッと見えたのが気になりました。
家ではなくて倉庫なのかもしれません。
あまり知られていない場所かもしれませんが、静かでとても居心地が良い場所でした。
-アクセス情報-
所在地:大阪府堺市北区中百舌鳥町4丁
最寄駅:南海/大阪メトロ中百舌鳥駅または百舌鳥八幡駅から徒歩5分程
周辺スポット:定の山古墳、二サンザイ古墳、百舌鳥八幡宮
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