昨年12月末に堺市中区へ、前から気になっていた
不思議な建造物を見に行ってきました。
堺市中区は深井駅周辺しか訪れたことがなかったんですが、
自転車での行動範囲を広げてみようと思い出発しました。
今回訪れたのは『土塔』と呼ばれるピラミッドのような塔です。

聖武天皇から東大寺の建立を託された大僧正・行基は堺市生まれ
668年に堺市西区家原寺町付近で生まれた僧・行基によって造られました。704年には行基が生まれた場所に家原寺が開基されています。
行基は15歳の時に出家し明日香村の飛鳥寺や奈良市にある薬師寺で仏教を学んだそうです。
行基は50歳半ばから仏教の布教以外にも、
橋を架けたり灌漑用の溜池を造ったりと社会事業に尽力してきました。
堺市北区にも行基が建立したお寺があります。
行基がかつて暮らしていた場所に創建された阿麻美許曾神社
土塔はそんな行基が60歳の時に造ったものですが、
行基を慕っていた多くの民衆の協力があってこそ成し得たことのようです。
布教を始めた当初は迫害を受けていた行基でしたが、
こういった社会事業によって認められ
745年には聖武天皇から東大寺の大仏建立を託されました。
また、同時に行基は大僧正という僧侶としての最高位を授けられました。

説明文がありました。発掘調査の結果わかったことが書かれています。
ここに存在する土塔はレプリカですが、当時13層から成る
饅頭型の土壇の上に八角形の建造物が造られたようです。
建物の形状は奈良県の法隆寺夢殿や栄山寺八角堂、室生寺五重塔を
参考に造られたらしいです。

土塔の前には小さなミニチュア模型が置かれていました。
精巧に造られています。てっぺんには寺院にある塔のようなものが。
土塔の規模は、一辺が53.1m、高さ8.6m以上。
十三重の塔の各層には瓦が敷かれていました。

土で基盤を造った上に瓦が並べられたようです。
当時使用されていた瓦の一部が保存されていました。

びっしりと敷き詰められた瓦には
当時行基を手助けした住民の名前が刻まれていたようです。

巨大なピラミッド状の建造物は近くで見ると迫力がありました。
住宅街の中の墓地と公園に囲まれた少し不思議な空間でした。

遺構が再現された部分もあります。


この日は閉門していましたが、土塔に登れるのか階段がついていました。

当時頂上からはどのような風景が見えたのか気になります。
この土塔は大野寺の仏塔ですが、道路を挟んですぐのところに大野寺はありました。

大野寺は高野山真言宗の寺院で、十一面観音立像が御本尊のようです。
このお寺も行基によって727年に開かれました。
現在は本堂と門、庫裡しか残されていませんが、
当時は伽藍を有する大寺院だったみたいです。
-土塔アクセス情報-
所在地:大阪府堺市中区土塔町2143-1
最寄駅:泉北高速鉄道・深井駅から徒歩で1.1km
南海高野線・堺東駅→南海バス・深井駅行き乗車→深井東町バス停駅下車すぐ



不思議な建造物を見に行ってきました。
堺市中区は深井駅周辺しか訪れたことがなかったんですが、
自転車での行動範囲を広げてみようと思い出発しました。
今回訪れたのは『土塔』と呼ばれるピラミッドのような塔です。

聖武天皇から東大寺の建立を託された大僧正・行基は堺市生まれ
668年に堺市西区家原寺町付近で生まれた僧・行基によって造られました。704年には行基が生まれた場所に家原寺が開基されています。
行基は15歳の時に出家し明日香村の飛鳥寺や奈良市にある薬師寺で仏教を学んだそうです。
行基は50歳半ばから仏教の布教以外にも、
橋を架けたり灌漑用の溜池を造ったりと社会事業に尽力してきました。
堺市北区にも行基が建立したお寺があります。
行基がかつて暮らしていた場所に創建された阿麻美許曾神社
土塔はそんな行基が60歳の時に造ったものですが、
行基を慕っていた多くの民衆の協力があってこそ成し得たことのようです。
布教を始めた当初は迫害を受けていた行基でしたが、
こういった社会事業によって認められ
745年には聖武天皇から東大寺の大仏建立を託されました。
また、同時に行基は大僧正という僧侶としての最高位を授けられました。

説明文がありました。発掘調査の結果わかったことが書かれています。
ここに存在する土塔はレプリカですが、当時13層から成る
饅頭型の土壇の上に八角形の建造物が造られたようです。
建物の形状は奈良県の法隆寺夢殿や栄山寺八角堂、室生寺五重塔を
参考に造られたらしいです。

土塔の前には小さなミニチュア模型が置かれていました。
精巧に造られています。てっぺんには寺院にある塔のようなものが。
土塔の規模は、一辺が53.1m、高さ8.6m以上。
十三重の塔の各層には瓦が敷かれていました。

土で基盤を造った上に瓦が並べられたようです。
当時使用されていた瓦の一部が保存されていました。

びっしりと敷き詰められた瓦には
当時行基を手助けした住民の名前が刻まれていたようです。

巨大なピラミッド状の建造物は近くで見ると迫力がありました。
住宅街の中の墓地と公園に囲まれた少し不思議な空間でした。

遺構が再現された部分もあります。


この日は閉門していましたが、土塔に登れるのか階段がついていました。

当時頂上からはどのような風景が見えたのか気になります。
この土塔は大野寺の仏塔ですが、道路を挟んですぐのところに大野寺はありました。

大野寺は高野山真言宗の寺院で、十一面観音立像が御本尊のようです。
このお寺も行基によって727年に開かれました。
現在は本堂と門、庫裡しか残されていませんが、
当時は伽藍を有する大寺院だったみたいです。
-土塔アクセス情報-
所在地:大阪府堺市中区土塔町2143-1
最寄駅:泉北高速鉄道・深井駅から徒歩で1.1km
南海高野線・堺東駅→南海バス・深井駅行き乗車→深井東町バス停駅下車すぐ


コメント
コメント一覧
行基のピラミッドは驚きです。
日本ピラミッドのひとつ広島県庄原市本村の葦嶽山は奴国司祭師升のクーデターで殺された兄スサノヲ大王を悼んで弟ニギハヤヒがストーンサークルを作って祀り、復讐を誓った山だと突き止めました。東側の鬼叫山にドルメンや巨石群を置いて祈祷したようです。
丸瓦や平瓦の化粧はストーンサークルの名残ではないでしょうか?
ちなみに大野寺の御本尊十一面観音は女王台与の本地仏と突き止めています。よろしければ以下の拙ブログから疑問点などコメントいただけると助かります。よろしくお願い致します( ^)o(^ )
古代史の謎を推理する(^_-)-☆
https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/e5f3c79c776262d1ae311988f7e58e3e
刮目天 一(はじめ)さん、コメントありがとうございます。
私も堺市中区の住宅地の中に行基のピラミッドがあったことに驚きました。
広島県庄原市本村にあるストーンサークルのことは知りませんでしたが、怨念がこもっていそうなので訪れるのは少し気が引けてしまいます。
ですがそのように巨石を祈祷や儀式に用いた風習があったのは興味深いです。
ブログ訪問させていただきました。
本を編纂できそうなくらい詳しくて凄いの一言です。
これからも訪問させて頂きますね。
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