前回・前々回と堺市西区を訪れた時のことを綴ってきましたが、まだまだ続きがあります。
堺区方面への帰路、太陽橋という橋のたもとにお墓のような場所を見つけたので立ち寄ってみました。
長々と説明の書かれた看板がありました。
ここ石津川は南北朝時代、南朝側の大将軍・北畠顕家の戦死の地だそうです。
1338年、足利尊氏の執事であった高師直率いる北朝軍と堺の港をめぐって激闘を繰り広げ討ち死にをしたことが記されていました。
舞の才能にも長けていた北畠顕家は『花将軍』と呼ばれていたようです。

この五輪塔が北畠顕家の供養墓のようです。
21歳という若さで戦死を遂げています。

お墓なのであまり写真は撮りませんでしたが、顕家とともに亡くなった部下のお墓もありました。
慰霊碑には南北軍による戦いの様子と、この地に慰霊碑が建立された経緯が書かれているようです。

また、大阪市阿倍野区には北畠顕家の墓があるらしくこちらが戦死の地で供養墓、阿倍野区にある方が顕家の眠る墓のようです。
ご興味のある方は是非訪れてみてください。
紀州街道沿いにあるので歴史的な寺院などを楽しみながら散策できます。

青泉竜水と書かれていましたがこれは水汲みなどに実際に利用されているんでしょうか。
調べてみましたが、よく分かりませんでした。
-アクセス情報-
所在地:堺市西区浜寺石津中5丁
最寄駅:阪堺線・石津駅から徒歩5分程度

堺区方面への帰路、太陽橋という橋のたもとにお墓のような場所を見つけたので立ち寄ってみました。
長々と説明の書かれた看板がありました。
ここ石津川は南北朝時代、南朝側の大将軍・北畠顕家の戦死の地だそうです。
1338年、足利尊氏の執事であった高師直率いる北朝軍と堺の港をめぐって激闘を繰り広げ討ち死にをしたことが記されていました。
舞の才能にも長けていた北畠顕家は『花将軍』と呼ばれていたようです。

この五輪塔が北畠顕家の供養墓のようです。
21歳という若さで戦死を遂げています。

お墓なのであまり写真は撮りませんでしたが、顕家とともに亡くなった部下のお墓もありました。
慰霊碑には南北軍による戦いの様子と、この地に慰霊碑が建立された経緯が書かれているようです。

また、大阪市阿倍野区には北畠顕家の墓があるらしくこちらが戦死の地で供養墓、阿倍野区にある方が顕家の眠る墓のようです。
ご興味のある方は是非訪れてみてください。
紀州街道沿いにあるので歴史的な寺院などを楽しみながら散策できます。

青泉竜水と書かれていましたがこれは水汲みなどに実際に利用されているんでしょうか。
調べてみましたが、よく分かりませんでした。
-アクセス情報-
所在地:堺市西区浜寺石津中5丁
最寄駅:阪堺線・石津駅から徒歩5分程度

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