2021年4月、緊急事態宣言が大阪に発令される少し前の晴れた週末に四天王寺界隈を散歩してきました。初めに訪れたのは四天王寺七宮のうちの一つに数えられる『久保神社』。四天王寺七宮は四天王寺というお寺を守るために聖徳太子が創建したと言われる七つの神社のことです。
四天王寺七宮は以下の神社で上之宮神社と小儀神社、土塔神社は明治時代に大江神社に合祀されています。小儀神社跡地には石碑が残されていました。
大江神社と堀越神社は以前訪れた記録がありますので、よろしければ以下のリンクからお読みください。
大江神社
上之宮神社
小儀神社
久保神社
土塔神社
河堀稲生神社
こちらが正面の鳥居です。すぐ奥に見えている本殿は、昭和20年3月13日に起きた第二次世界大戦中の空襲によって幣殿・神庫・社務所とともに焼け落ちてしまったそうです。現在の姿は昭和27年に再建されたものです。
天照皇大神・速素盞男尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊・宇賀御霊神がご祭神として祀られています。もともと天照大御神が旧久保村の産土神だったようです。
手水舎には龍の彫刻が置かれていました。新型コロナウイルス感染症対策で使用できなくなっています。
個人的に久保神社の注目ポイントは次に紹介する『願成就宮』です。かつて聖徳太子が深く信仰し、その願いが叶えられたことから名付けられたと言い伝えられています。その後も人々の信仰が絶えず、霊験あらたかな境内摂社として知られているようです。聖徳太子はどんな願いことをしたのでしょうか。
こちらの『大岩小岩大明神』は岩がご神体です。頭脳の神様が祀られており、学生や頭に持病のある方がお参りすると良いとされています。背後は民家でした。
こちらが方除神社と白龍神社です。方除神社は転居の際にお参りすると良いそうです。白龍神社は子孫繁栄や商売繁盛にご利益があるとされます。
お稲荷さんも祀られていました。
境内には伊勢神宮遥拝所もありました。昨年京都にある日向大神宮に参拝した時にも伊勢神宮遥拝所がありましたが、見返してみると鳥居の形がそっくりでした。伊勢神宮特有のものなのでしょうか。
久保神社は天照大御神をご祭神とする旧久保村の氏神様でした。境内には聖徳太子が信心し諸願成就を遂げた『願成就宮』も祀られています。四天王寺東大門から徒歩5分程度のところにありますので、是非参拝してみてください。
余談ですが久保神社付近に『関帝廟』という中国様式の廟を見つけました。閉鎖されていましたが、カラフルな中国建築が目を引きました。
四天王寺七宮は以下の神社で上之宮神社と小儀神社、土塔神社は明治時代に大江神社に合祀されています。小儀神社跡地には石碑が残されていました。
大江神社と堀越神社は以前訪れた記録がありますので、よろしければ以下のリンクからお読みください。
大江神社
上之宮神社
小儀神社
久保神社
土塔神社
河堀稲生神社
こちらが正面の鳥居です。すぐ奥に見えている本殿は、昭和20年3月13日に起きた第二次世界大戦中の空襲によって幣殿・神庫・社務所とともに焼け落ちてしまったそうです。現在の姿は昭和27年に再建されたものです。
天照皇大神・速素盞男尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊・宇賀御霊神がご祭神として祀られています。もともと天照大御神が旧久保村の産土神だったようです。
手水舎には龍の彫刻が置かれていました。新型コロナウイルス感染症対策で使用できなくなっています。
個人的に久保神社の注目ポイントは次に紹介する『願成就宮』です。かつて聖徳太子が深く信仰し、その願いが叶えられたことから名付けられたと言い伝えられています。その後も人々の信仰が絶えず、霊験あらたかな境内摂社として知られているようです。聖徳太子はどんな願いことをしたのでしょうか。
こちらの『大岩小岩大明神』は岩がご神体です。頭脳の神様が祀られており、学生や頭に持病のある方がお参りすると良いとされています。背後は民家でした。
こちらが方除神社と白龍神社です。方除神社は転居の際にお参りすると良いそうです。白龍神社は子孫繁栄や商売繁盛にご利益があるとされます。
お稲荷さんも祀られていました。
境内には伊勢神宮遥拝所もありました。昨年京都にある日向大神宮に参拝した時にも伊勢神宮遥拝所がありましたが、見返してみると鳥居の形がそっくりでした。伊勢神宮特有のものなのでしょうか。
久保神社は天照大御神をご祭神とする旧久保村の氏神様でした。境内には聖徳太子が信心し諸願成就を遂げた『願成就宮』も祀られています。四天王寺東大門から徒歩5分程度のところにありますので、是非参拝してみてください。
余談ですが久保神社付近に『関帝廟』という中国様式の廟を見つけました。閉鎖されていましたが、カラフルな中国建築が目を引きました。
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