久保神社→四天王寺→一心寺を訪れた後、真田幸村公戦死の地である『安居神社』を訪れました。
安居神社は別名・安居天満宮と呼ばれていることからも分かりますが、学問の神様として知られる『菅原道真公』と医薬の神様『少彦名神』がご祭神として祀られています。
901年に菅原道真公が太宰府に左遷された際、この地に立ち寄り休憩をしたそうです。道真公の境遇に同情した村人がおこしを差し上げたところ、村人はお礼に菅原家の紋所である『梅鉢』をもらいました。これが大阪名物『粟おこし』の起源となったようです。安居神社は942年に道真公の霊を祀るために村人たちによって創建されました。
こちらが道真公と少彦名神が祀られている本殿です。
本殿脇に置かれていた絵馬には学問の神様・天満宮のシンボルである牛とこの地で戦死を遂げた真田幸村公が描かれていました。安居神社は1945年第二次世界大戦時の空襲で焼失してしまいましたが、寄進によって昭和1951年に復興を遂げたそうです。
天満宮には必ずと言っていいほど牛の置物が置かれている気がします。
境内には真田幸村公の銅像が設置されています。大阪夏の陣で徳川方に敗れた後に、故郷に帰れず無念の死を遂げた幸村公を偲ぶ銘文も設置されていました。『この銅像お手をお触れください。そしてその徳を授かって頂ければ喜ばしく思います』と書かれてあったのでありがたく触れさせていただきました。
境内には淡島大神・金山彦大神・金山姫大神・稲荷社などの摂社が祀られていました。
安居神社をはじめ大阪には真田幸村公の足跡が残された土地がいくつかあります。次回は大阪夏の陣の戦地となった『茶臼山』を訪れた時のお話をさせていただきます。そちらもお読みいただければ幸いです。
安居神社の地図
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安居神社は別名・安居天満宮と呼ばれていることからも分かりますが、学問の神様として知られる『菅原道真公』と医薬の神様『少彦名神』がご祭神として祀られています。
901年に菅原道真公が太宰府に左遷された際、この地に立ち寄り休憩をしたそうです。道真公の境遇に同情した村人がおこしを差し上げたところ、村人はお礼に菅原家の紋所である『梅鉢』をもらいました。これが大阪名物『粟おこし』の起源となったようです。安居神社は942年に道真公の霊を祀るために村人たちによって創建されました。
こちらが道真公と少彦名神が祀られている本殿です。
本殿脇に置かれていた絵馬には学問の神様・天満宮のシンボルである牛とこの地で戦死を遂げた真田幸村公が描かれていました。安居神社は1945年第二次世界大戦時の空襲で焼失してしまいましたが、寄進によって昭和1951年に復興を遂げたそうです。
天満宮には必ずと言っていいほど牛の置物が置かれている気がします。
境内には真田幸村公の銅像が設置されています。大阪夏の陣で徳川方に敗れた後に、故郷に帰れず無念の死を遂げた幸村公を偲ぶ銘文も設置されていました。『この銅像お手をお触れください。そしてその徳を授かって頂ければ喜ばしく思います』と書かれてあったのでありがたく触れさせていただきました。
境内には淡島大神・金山彦大神・金山姫大神・稲荷社などの摂社が祀られていました。
安居神社をはじめ大阪には真田幸村公の足跡が残された土地がいくつかあります。次回は大阪夏の陣の戦地となった『茶臼山』を訪れた時のお話をさせていただきます。そちらもお読みいただければ幸いです。
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