世界遺産
2020年12月27日
堺市にある古墳の魅力を伝え隊・第15回 都市区画整理事業で公園化。堺市では珍しい登れる古墳『定の山古墳』
埋葬者は判明していませんが、埋葬施設と考えられる粘土状の塊が見つかっています。
誰もいない丘に登ってみました。
木がトナカイのツノみたいに生えてました。
7mの墳丘なので見晴らしはそこまで良くないです。
南の方に二サンザイ古墳がチラッと見えました。
区画整理事業で消滅してしまった周濠からは朝顔形埴輪などの円筒埴輪や、
家形埴輪などの形象埴輪、須恵器が発見されています。
円筒埴輪はこういうのです。写真は以前馬見丘陵公園で撮ったレプリカです。
定の山古墳を後にして、すぐ近くにある御廟表塚古墳に行ってみることにしました。
御廟表塚古墳についてはまた今度書きたいと思います。
所在地:堺市北区百舌鳥梅町1丁
最寄駅:各線中百舌鳥駅から徒歩5分
周辺史跡:二サンザイ古墳、御廟表塚古墳、百舌鳥八幡宮など
2020年07月30日
百舌鳥古墳群の出土品がたくさん展示されている大仙公園・堺市博物館に行ってきました
堺市博物館は大仙公園内にあって、近くには
仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群が点在しています。


堺市生まれの茶の湯の巨匠・千利休の像も飾られています。

千利休の師匠だった人物です。
これまでに紹介してきた堺市にある古墳の出土品について、
文字による紹介ばかりだったので今回は写真をいくつか撮ってきました。
方違神社やけやき通りの近くにある反正天皇陵古墳では、
円筒埴輪や人物埴輪、須恵器が出土されています。
破片ですが実際の出土品が展示されていました。

ちなみに円筒埴輪は文字通り円筒のような形が特徴の埴輪で、
人物埴輪は人型をしています。


これはレプリカですがちょっと怖いですね。
円筒埴輪は御廟山古墳でも出土されています。

他にも履中天皇陵古墳で出土された家型埴輪が紹介されていました。


堺市博物館の展示品は写真撮影OKなものと
NGなものに細かく分かれています。

これは兜型・甲冑型の埴輪レプリカです。
大学は考古学部に入るか真剣に悩んだくらい(実際は商学部)歴史や遺跡が好きなので
美術館より博物館の方が好きだったりします。
堺市にある『みはら歴史博物館』にも同様に
古墳群から出土された埴輪や土器などが展示されていると聞きました。
いつか機会があれば訪れてみようと思います。
2020年05月14日
堺市にある古墳の魅力を伝え隊・第6回 履中天皇陵 (ミサンザイ古墳)
古墳についての豆知識
古墳は1基・2基と数える
古墳=権力者たちの墓
古墳の大きさは埋葬された人物の身分の高さや権力の大きさに比例
3世紀半ばから7世紀末まで古墳が全国各地に作られた
前方後円墳は台形部分が前方にあたる
倍塚とは大型の古墳近辺に造営された小規模の古墳のこと
日本第3位の規模を誇る履中天皇陵
履中天皇陵はミサンザイ古墳とも呼ばれる5世紀前半に造営された前方後円墳です。
仁徳天皇陵よりも古くに造られています。
墳丘の長さは365mにもおよび、仁徳天皇陵、応神天皇陵に次いで日本第3位の規模となっています。
2019年7月に第43回世界遺産委員会の審査を通過し、履中天皇陵を含めた百舌鳥古墳群が世界遺産に登録されました。
墳丘は3段構造になっており、海岸線と並行するように築かれていることから当時既に海外との交易が行われていたのではないかと推測されています。
西側にあるくびれ部分には造り出しが残されており、かつて祭祀などに利用されていたのではないかと推測されています。
墳丘を囲むように濠が巡っていますが、当時はさらにその外側に外濠が全周していたことが判明しています。
濠の周囲にはかつて10基以上の小規模な古墳(倍塚)がありましたが、宅地開発が進むとともに消失し、現在残っているのは寺山南山古墳と七観音古墳、経堂古墳の3基のみとなりました。
七観音古墳についてはインスタグラムでやりとりのある親切なフォロワーさんから教えていただきました。
大仙公園と履中天皇陵の間に位置する古墳で、墳丘に登ることができるようです。
頂上からは仁徳天皇陵を見渡すこともできるそうなので、今度訪れてみたいと思います。その時は昼過ぎにいたすけ古墳にも行ってたぬきの一家にも会ってみたいです。
日射しが強くなってきたので、自転車移動のせいか手の甲が日に日に黒くなっていきます。
これからは日焼け対策もしっかりしながら堺を探訪したいと思います。
出土品:葺石、埴輪、副葬品は不明
埋葬者:不明、現在は第17代履中天皇の陵墓として指定されています
所在地:堺市西区石津ヶ丘
2020年05月07日
堺市にある古墳の魅力を伝え隊・第5回 御廟山古墳
古墳についての豆知識
古墳は1基・2基と数える
古墳=権力者たちの墓
古墳の大きさは埋葬された人物の身分の高さや権力の大きさに比例
3世紀半ばから7世紀末まで古墳が全国各地に作られた
前方後円墳は台形部分が前方にあたる
倍塚とは大型の古墳近辺に造営された小規模の古墳のこと
御廟山古墳は5世紀前半に築かれた古墳で、墳丘の長さ約203mの前方後円墳です。
3段構造の墳丘南側のくびれ部分には祭祀が行われたとされる造り出しが残っています。
このくびれ部分からは葺石や埴輪が出土されました。
かつて2重の濠が古墳の周囲を取り囲んでいましたが、現在は消失しています。
発掘調査により、墳丘の一段目に円筒埴輪がところ狭しと並べられていたことが分かりました。
その他にも囲形埴輪や家形埴輪など実際に存在していた物証を象ったとされる埴輪や、魚や笊の形の土製品や土器が発見されました。
造り出し部分で行われたとされる祭祀において、これらの道具が用いられたと推測されています。
また、御廟山古墳は近世において近隣にある百舌鳥八幡宮の奥の院とされてきました。
百舌鳥八幡宮は御廟山古墳の近くにある開運厄除けのご利益のある神社です。
出土品:形象埴輪、葺石、土製品、土器など
埋葬者:不明
最寄り駅:大阪メトロ御堂筋線中百舌鳥駅、南海高野線中百舌鳥駅、JR阪和線百舌鳥駅
四季を感じられる古墳
御廟山古墳の周りに張り巡らされた濠を囲むように歩道が整備されていますが、手入れの行き届いた花壇が見どころの一つです。
季節に応じて色とりどりの花々を見ることができるので、古墳だけでなく花を見ながらのんびり歩いてみるのもおすすめです。
百舌鳥古墳群には濠に囲まれた前方後円墳が多いように感じます。
墳丘に登ってみたり石室の内部に入ることはできませんが、そこで出土された限られたものを頼りに当時の人々の生活を想像してみるのもロマンがあって良いかもしれません。
2020年05月06日
堺市にある古墳の魅力を伝え隊・第4回 いたすけ古墳
古墳についての豆知識
古墳は1基・2基と数える
古墳=権力者たちの墓
古墳の大きさは埋葬された人物の身分の高さや権力の大きさに比例
3世紀半ばから7世紀末まで古墳が全国各地に作られた
前方後円墳は台形部分が前方にあたる
倍塚とは大型の古墳近辺に造営された小規模の古墳のこと
いたすけ古墳とは
いたすけ古墳は5世紀前半に造営された古墳で、百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置しています。
周囲には100を超える小規模な古墳が存在していましたが、半数以上が宅地開発の影響で消失しました。
墳丘の長さが146mの前方後円墳で、墳丘は3段に築かれています。
南側のくびれ部分にかつて祭祀に利用されたとされる造り出しが残されています。
後円部の南東側にはいたすけ古墳の倍塚と考えられている善右衛門古墳があります。
宅地造成計画により破壊の危機に
1955年、宅地開発により取り壊されそうになりましたが、市民や同志社大学の学生が中心となった反対運動により1956年に国史跡に認定され保存されることとなりました。
南側の濠には古墳を破壊するのに土を運びだすためのコンクリート橋の名残が今も残されています。
いたすけ古墳に住み着くたぬき家族
この残された橋げたでは日向ぼっこをしたり水を飲んだりするたぬきの姿を見ることができます。
1998年頃から古墳にたぬきが住み着くようになったそうです。
2019年に墳丘に生い茂る樹木の一部伐採が行われましたが、このことによってたぬきの住処が脅かされないか危惧されています。
古墳の景観を損なわないための一部伐採ということですが、周辺住民にも愛されているたぬきと文化遺産が上手く共存共栄していってくれることを望みます。
堺市博物館の公式キャラクター・サカイタケルくん
堺市博物館のキャラクターであるサカイタケルくんが被っている兜が衝角付兜型埴輪です。
サカイタケルくんは奈良県のご当地キャラクターのせんとくんとよく似ています。
古墳時代に生きた元気な少年をイメージしてデザインされたそうです。
出土品:衝角付兜型埴輪(後円部から発掘、堺市文化財保護のシンボルマークになっています)
埋葬者:不明
最寄り駅:大阪メトロ御堂筋線中百舌鳥駅、南海高野線中百舌鳥駅、JR阪和線百舌鳥駅